わんわん電鉄

好きな音楽は、鉄道の路線網のように広がっていくものだと思う

【考察・解釈】スピッツ『花と虫』

アルバム『見っけ』に収録されている曲です。

 

花と虫

花と虫

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『花と虫』と聞いて、ぱっと思いついたイメージが、白い百合みたいな花と蜂みたいな虫でした。実際、百合の花の花粉を蜂が運ぶかどうかは分かりませんが…。

 

 

イントロからすごく爽やかで、音もきれいで、メロディーを奏でるギターの音がまるで花びらについている朝露が滴っているような感じがします。すごく瑞々しさが溢れているイントロになっていると思います。

 

・・・・・・

 

花、虫、それぞれに何かの象徴としての役割があると思うんですが、最初聴いたときは、花が女性で、虫が男性の象徴なのかなと思いました。

 

 

おとなしい花咲く セピア色のジャングルで

いつもの羽広げて飛ぶのも 飽き飽きしてたんだ

「セピア色のジャングル」は、自分の故郷とか、生まれ育った場所、という感じがします。セピア色というと、昔の思い出とか、懐かしい写真といったイメージと結びつけられていますね。

「ジャングル」という言葉からも、まだ未発展で、都会とは違う、自然あふれる場所というイメージから、故郷というイメージが合うかもしれません。

 

自分の故郷で、ただ今まで通り生活することに、主人公はもの足りなさを覚えるようになったんでしょうね。主人公は、"虫"なようです。

「おとなしい花」は、故郷にいる、小さなころから好きな女性のことを指す気がします。おとなしいという表現から、おしとやかな女性がイメージされますね。

 

 

 

北へ吹く風に 身体を委ねてたら

痛くても気持ちのいい世界が その先には広がっていた

故郷で生活することに物足りなさを感じていた主人公は、流されるようにして(風に飛ばされるようにして)新しい世界へ踏み込むことにした、ということだと思います。

 

「痛くても気持ちのいい世界」と聴いて、最初そのまま言葉通りに受け取った時は、『うわエロっ…』と思ったのですが、たぶんそういう要素はないのかなと思います。(あるかもしれませんが)

 

色々周りから揶揄されたり、注意されたり、怒られたりしながらも、新しい世界で活動することに喜びを感じている、ということを表しているような気がします。イメージは、田舎から上京した若者が、先輩にめちゃくちゃ仕事で怒られながらも、その仕事にやりがいを感じるようになる、という感じですかね。

 

「広がっていた」の部分で、だんだん力強くなっていく歌声が、本当に世界が広がっていくような感じがしていいなと思います。

 

 

 

終わりのない青さが 僕を小さくしていく

罪で濡れた瞳や 隠していた傷さえも

新しい朝に怯えた

ここのサビ、すごくいいですよね。少し一本調子な感じのメロディーを一本の横棒に例えるとしたら、それが階段のようにだんだん上がっていくような感じがします。

また、ハモりもすごくきれいで、冒頭のイントロに加えて、ますます瑞々しさを感じさせてくれます。

 

「終わりのない青さ」が一番、解釈が難しい気がします。

 

先ほどまでの解釈の流れでいくとしたら、いくつ年をとっても、まだまだ半人前なところが残っていて、それを『君はまだ若々しいね』とか、『フレッシュだね』とか捉える人もいるけれど、逆に本人の中では、自分がまだ未熟だということを認識すると、自分はまだまだなんだ…と萎縮してしまう、ということなのかなと思いました。

 

相手はその主人公の初々しさを褒めているけれど、本人はそれを否定的に捉えているイメージです。

 

 

そもそも、「青さ」は、未熟さを表す言葉ですが、それをマイナスと捉えるか、プラスと捉えるかで、意味が変わってくると思います。

 

別解釈として、エロな方面で解釈するとしたら、自分は大人になっても、まだ依然として中学生男子みたいに性的なことに強い関心を持っていて、そのことが恥ずかしい、とも取れるかな…とは思いましたが、不適切ですね。スピッツの曲に、なんでもかんでもエロをはめ込むのは良くありませんね。(笑)

 

 

「罪で~怯えた」については、故郷を捨ててきてしまったことへの罪の意識や、そのことへの後悔という心の傷を持っていて、そんな中新しい世界で日々を過ごすことに罪悪感を感じている、ということにとれるかな、と思いました。

 

 

 

それは夢じゃなく めくるめく時を食べて

いつしか大切な花のことまで 忘れてしまったんだ

巷の噂じゃ 生まれ故郷のジャングルは

冷えた砂漠に飲まれそうだってさ かすかに心揺れるけど

 2番に入ると、1番よりも事情が分かりますね。まず、「生まれ故郷のジャングル」とうたわれていることから、やはりジャングル=故郷だったわけですね。

 

「それは~食べて」というのは、新しい世界での生活を始めてから、現実として何年も時間が経っていた、ということなのでしょうか。1番で描かれていたことは、夢ではなく、現実であり、実際に時間が進んでいた、ということを言っていると思います。

 

故郷を出てから何年も経ってしまったがために、故郷にいる昔好きだった大切な女性の存在までもを忘れてしまった、ということでしょうか。

 

 

そして、故郷が「冷えた砂漠に飲まれ」るというのは、活気がなくなる、人がいなくなる、実家がなくなる、自分の思い出がなくなるということを表していると思います。

 

砂漠からイメージするものは、何もない、ということです。また、故郷とは、自分が生まれ育った地であり、また家族が住む実家があることから、温かいものである(心理的に)というイメージがありますが、それが冷えていくということは、自身の思い出やルーツがなくなっていくことを表している気がします。

 

自分の故郷から、思い出がなくなってしまう(例えば、大規模開発に伴い、思い出の公演が取り壊されるとか、シャッター街が広がるようになるとか)ために、故郷に戻ろうかな、と心が揺れるわけですね。

 

 

 

終わりのない青さの 誘惑抗えずに

止まらなかった歩みや 砂利の音に凍えて

新しい朝にまみれた

地元に戻ろうかな、と心が揺れたけれど、主人公は結果としてもどらなかったようです。その理由は、「終わりのない青さの 誘惑に抗え」なかったからのようです。ここの解釈もまた難しいですね。

ここでの「青さ」を、若々しさ、と捉えるならば、新しい世界でやりたいこと、かなえたいことがたくさんあるがゆえに、その地を離れることができない、ということともとれそうです。つまりは、自分の夢を優先した、ということですね。

 

「止まらなかった歩み」ともあるので、やはり、その「終わりのない青さの誘惑」が主人公の歩みを止めなかった(=故郷へ引き返させなかった)ということではないでしょうか。

 

 

「砂利の音に凍え」るって、すごい表現ですよね。これもまた解釈が難しいですが、私個人としては、現実に歩いていて、『本当にこれで良いのだろうか?』と自問自答して、自分を責めている様子が思い浮かびます。

故郷に戻らなかったことに罪悪感や責任を感じながらも、新しい朝はやってくる、つまり日々の生活は普段通りやってくる、ということなのかなと思いました。

 

 

 

「花はどうしてる」 つぶやいて噛みしめる

幼い日の記憶を払いのけて 

故郷に置いてきた(?)好きな人のことを思い出しているのだと思います。変わってしまった故郷で、彼女はどう過ごしているのだろうと。街も変わってしまって、もしかしたら彼女もどこかへ引っ越してしまっているんじゃないか、とか考えたんですかね。

 

はらいのけるとは、取り除くことですが、『幼い日の記憶をはらいのけ』るということは、幼い時の好きな人(=花)との思い出を忘れようとしているということかなと思いました。

彼女はどうしているんだろう、会いたいと思っても、彼女には彼女の生活があるし、自分もこの新しい世界での生活があるから、会いに行くことは難しいだろうと判断したのでしょう。もう会えないのだから、その好きな人との思い出を忘れて、前に進もうとしているのだと思います。

 

あえて、「はらいのけて」と言っているのには、彼女との大切な思い出は、(忘れている時があったとはいえ)常に主人公の頭の中にあるからこそ、自らの手で取り除くという意味を持たせているんだと思います。

 

「つぶやいて噛み締める」という表現から、彼女を置いて故郷を出てきてしまったことへの後悔を感じるのですが、私だけですかね……?

 

 

 

終わりのない青さは 終わりがある青さで

気づかないフリしながら 後ろは振り返らずに 

ここは、アコギだけの音になっていて、アクセントになっていますね。

 

『終わりのない青さ』は、実は『終わりのある青さ』のようです。

解釈の1つめとして、この若々しさは無限のものだと思っていたけれど、実は有限のものだと気づいた、というのとかもしれません。主人公は、老いを感じてしまった、ということですかね。

 

解釈の2つめとして、やりたいことや叶えたいことが次々と浮かんでくるのも、ずっと続くものだと思っていたけれど、実はそれに終わりが見えてきてしまった、ということかもしれません。主人公は、意欲、才能に限界を感じてしまったということです。

 

おまけとして、エロをはめ込んだ解釈としては、いつまでも性的関心が高く、ある種の幼さを持っていると思ったけど、どうやらそうでも無いということでしょうか。つまり、主人公は性的な衰えを感じるようになった、ということです。

 

どれも正しくないとは思いますが、私はどちらとも取れるなと思いました。

 

 

「気づかないフリし」ている対象は、おそらく青さには終わりがあるということだと思います。だとすると、青さの有限性に気づきながらも、今は気づかないフリをしたまま、とにかく前へ進もう、今を生きよう、ということを表現しているのだと思います。

 

もし、「気づかないフリし」ている対象が、「冷えた砂漠」になる故郷だとしたら、故郷への思いは断ち切って、新しい世界でこれからも頑張っていこうという感じですかね。

 

いずれにせよ、「青さ」が有限なものであると気づいたので、その「青さ」がある今こそ、それを活かしていこうということを表現したいのかなと思いました。簡単に言えば、いつか終わってしまうものだから、今から大事にしよう、的な感じです。

 

 

 

最後にもう一度、最初のサビの歌詞が繰り返されます。

そして、

爽やかな 新しい朝にまみれた

とくるわけですが、この「爽やかな」のフレーズがすごく好きです。最後にいいアクセントになってますよね。

曲の最後にこれまでのメロディーと少し変えたメロディーをアクセントとして入れる方法が、世間ではよく見られますが、これによって次にまたさっきと似たフレーズが続いても、しつこさを感じにくくなっているなと思います。

 

故郷に戻ろうかな、とか、あの子はどうしているだろう、とか、ともかく置いてきてしまった故郷に対して後ろ髪を引かれるけれども、故郷に対する思いを断ち切って、新しい世界での生活を頑張ろうと決意しているように思いました。

 

「爽やかな」とあえて付け加えているということは、思いを断ち切ってスッキリして、すがすがしい気持ちになったということを強調したいのかなと思いました。つまりは、色々な迷いを断ち切ったからこそ、いつもの朝が爽やかなものに感じるということだと思います。

 

 

 

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以上、『花と虫』についての解釈・考察をご紹介しました。

 

詳しく解釈してみると、なんだか切ない曲ですね。変わりゆく故郷、「青さ」に終わりがあると気づく、幼少期の思い出をはらいのける…など。曲調の儚さ(間奏のコーラスなど)と併せて考えると、ますます切なくなってしまいます。

 

具体的に、花と虫がそれぞれ何を象徴しているか、についてですが、

①花=故郷に置いてきた、昔好きだった女性、虫=故郷を飛び出した自分

②花=故郷に置いてきた大切なもの、虫=故郷を飛び出した自分

という風に考えました。どちらでも曲には当てはまるかなと思いました。

 

 

とにかくこの曲も、名曲だと思います!(どれも名曲)

晴れた日の、少し涼しさを感じる朝に聴きたくなる曲だと思いました。