わんわん電鉄

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【考察・解釈】スピッツ『未来未来』

『未来未来』は、アルバム『ひみつスタジオ』に収録されています。

未来未来

未来未来

 

 

私がこの曲を初めて聴いたときには、「なんだなんだ!?ロックと民謡!?違和感なくお互いに尊重し合っててすごい!!」と、ただただ感動していました。民謡歌手の朝倉さやさんの力強く、伸びやかな歌声が、小刻みなリズムとカッティングがメインのこの曲に奥行きを出してくれていると思います。

 

 

個人的には、小刻みで規則的なリズムが「現在」を、流れるような朝倉さんの歌声が未来に向かって流れる長い時間軸を表しているように感じています。

曲の中に時間的な奥行きを感じる稀有な曲です!

 

 

 

この曲の意味について、私は、「未来とは、明るいもの」とされる固定観念への問題提起だと考えています。すなわち、私達は、小さい頃から「明るい未来」という言葉に馴染みがあるように、未来=明るいという図式は、私達が今どんなに辛くとも前を向いて頑張って生きていこうとするための「標語」のようなものであると思います。実際、必ずしも未来が明るいかというと、そうとも限りません。だからこそ、私的には、この『未来未来』は、「未来=明るいもの」という図式に拘泥して、思考停止になってしまっているのではないか?未来が明るいものだと思い込んでいたところで、本当に明るい未来がやってくるのか?本当の明るい未来を手に入れるためには、自分一人の小さな力であれ、自ら飛び出して行動していかなければならないのではないか?といった主張をしようとしているのではないかと思うのです。そういった意味で、現代社会を痛烈に批判している曲であるように聞こえます。ロックですね~!そういうわけで、個人的には、『Sandie』と並ぶ皮肉ソングです。

また、「バタフライ・エフェクト」を信じて行動してみよう!という、私達の背中を押してくれる曲ともいえるでしょう。

 

 

 

それでは、実際に歌詞をみてみたいと思います。

 

 

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安全に気配って 慎重にふるまって

矛盾を指摘され 憂鬱の殻に入れば

 

曲の冒頭からキレッキレのマサムネさんですね笑

リズミカルにかっこよく、こんな「鋭い」歌詞を歌われるのですから、本当にマサムネさんはかっこいいです!

これは、何か目立ったことや誰かの気に食わないことをすればすぐに叩かれたり、炎上したりする現代社会において、そういうことにならないようにどんなに気をつけたとしても、叩かれたり炎上したりしてしまうわけで、結局のところ、身の安全を守るためには、自分の中に小さく閉じこもるしかない、という理不尽さを歌っているように思います。

 

 

「憂鬱の殻」という表現が秀逸ですね!もはや自己表現をする気力がなくなるくらい、気持ちが落ち込んでしまい、塞ぎ込んでしまうということだと思いますが、憂鬱のイメージと、狭くて暗い殻のイメージがぴったりだと思います。

 

 

 

外は明るいの? 文明は続いてるの?

竹の孫の手で 届け銀河の果て

「憂鬱の殻」に閉じこもらなければ自らの精神的安定を得られない以上、殻の中から様子を伺うしかありません。しかし、外界がどのような様子になっているかなんて、殻の内側からは見えやしません。「竹の孫の手」を使うのは、自らが傷つかないようにするために(ちょっと手抜きをして)、殻の内側から自分に必要な情報をこちらに引き込もうとするためなのでしょう。保身のために自らのなかに閉じこもりつつも、まわりの情報はさりげなくキャッチしている現代人を表しているかのようです。

 

 

 

蛍光イエローの石ころ拾った ah

ラッピングしてきちんと贈ろう

個人的に一番解釈が難しい箇所です。私は、この石ころは、殻の中に閉じこもっている主人公を外の世界に引き戻すための誘い水のようなものかなと思いました。すなわち、蛍光イエローというと、暗闇でも光る色だと思うのですが、これを殻の中に閉じこもった主人公が拾ったということは、誰かが「蛍光イエローの石ころ」を『君も隠れていないで出てこいよ!』という意味で殻の中の主人公にバトンのように投げ入れたものなのではないかと想像します。

 

 

 

虐げられたって 思い込んでたって

虐げていたのは こっちの方だなんてさ

この部分は、私が初めてこの曲を聴いたときに、面白いなと思った部分です。(あくまで個人的な感覚の話にはなりますが、)「憂鬱の殻」に入らざるを得なかった人間にとって、なにもかもが自分を否定するものであるかのように感じられてしまい、物事を正しく判断できず、なかなか被害者意識から抜け出せません。しかし、こちらが被害者としての立場にあるという事実が、加害者にとっての被害なのだと、加害者側が言い張ることがあると思います。

 

これは、実際に私が上司に言われたことです苦笑。「貴方が被害者ヅラしてること自体が、周りの人間に対して加害していることと同じなのだ」と。さすがに理解しかねましたが…。この歌詞も、そういう経験があるからか、そういうことかなぁと思ってしまいました。

 

 

遠くへ飛びたいとか 希望し必死こいてた

足元を見れば ほとんど同じ位置だ

「憂鬱の殻」に閉じこもっている以上、どんなに大きな夢を描いても、実際の行動が伴わないために、何も変わっていない、ということだと思います。グサッときますね〜苦笑。

 

 

 

新しい名前をすぐください

あきらめずに

この「新しい名前」とは、もう一度やり直すために、また、生まれ変わるために、もう一度自分に対する新たな意味づけが欲しい、ということかなと思いました。

 

 

こじ開けて 未来未来

今だけで余裕などない 嫌い嫌い

お願いだからそばにいて 未来未来

誰も想像できない 君以外 

「憂鬱の殻」から飛び出して、「新しい名前」をもらって、自らの力で未来を切り開いていこうと志向するとしても、やはり、未来は今の積み重ねですから、明るい未来なんてものを夢見る余力なんてない、ということかなと思います。

 

 

『ほら!未来は明るいよ!』なんてスローガンのような言葉は、今を生きるだけで精一杯な主人公にとって、当然に「嫌い」な言葉になるでしょう。

すなわち、そのような自分にとって、標語のような「未来」という言葉が呪縛のように荷重となるがゆえに、この言葉を嫌っているということかなと思いました。

 

「未来未来」も「嫌い嫌い」も、2回繰り返されることでもとの言葉の意味がさらに強調されているようです。

 

 

2番の歌詞です。

禁断の実をもいで 果汁を一気飲んで

あまりの美味さに 境目がぼやける

今を精一杯頑張った先にある(であろう)明るい未来を、なんらかのきっかけで垣間見てしまったがために、未来と今との区別が曖昧になった、ということかなと思います。

 

 

 

1000年以上前から 語り継いだ嘘が

人生の意味だって 信じて生きてきたが

このフレーズは、非常におもしろいですね。

この曲の中では、「1000年以上前から語り継いだ嘘」とは一体何なのかは明らかになりません。私は、この嘘であるとされる嘘とは、色々と当てはまると思います。

 

 

個人的には、結婚して子孫を残すこと、なのではないかと思います。「1000年以上前から」という言葉から、人類が子孫を残して繋いできたという歴史を感じます。前時代的な価値観においては、子孫を残し、次の世代にバトンを繋ぐことが人生の意味であるとされてきたと思います。確かに、子を残し、子を残すことが人生の意味であると「語り継い」できたからこそ、今があると思います。

しかし、現代において、そのようなことが本当に人生の意味であるかというと、必ずしもそうでないと思います。思考停止的な概念に対するアンチテーゼを提示することがこの曲の趣旨であるとするならば、この部分は、まさに、その種の前時代的な固定観念を否定するスタンスにたっているのだと思います。

 

 

勧善懲悪ならもう要らない

小さな波紋が

本当の意味での明るい未来を手に入れたいのであれば、まずは自分の殻から飛び出す必要があるというわけなので、ここのフレーズは、誰かの行動でなにが良くてなにが悪いといった価値判断などをしてその行動を無効化するようなことは無意味であると歌っているのだと思います。出る杭には、どんどん出てもらって、「小さな波紋」を起こしていくべきだといくことなのでしょう。

 

 

個人的には、このフレーズからバタフライエフェクトを連想しました。誰かの小さな行動がバタフライエフェクトとして、なにか大きなことを引き起こすことを期待するのであれば、まわりが誰かの行動がよかったとか悪かったとかを評価するべきではなく、見守っていくべきであるということです。

 

 

広がるよ 未来未来

意志で切り拓いてみたい 時代時代

溶けた愛が流れ始めて 未来未来

誰も受け止められない 君以外

「意志で切り拓いてみたい」というフレーズが、まさにこの曲の核心的なものであると思います。どんなに「明るい未来を!」なんて言って生きていったところで、新たな時代を切り拓くことができるわけではありませんからね。

敷かれたレールの上を綺麗に歩くのではなく、自分なりの「意志」をもって前に進んでいこう!ということだと思います。

 

 

 

未来は泣いてんのか 未来は笑ってんのか

影響与えようよ 殻の外で

曲の最後の部分です。これこそ、まさにこの曲の主題といえるでしょう。

 

「殻の外で」というのも、自分の安全な場所(人から攻撃されにくい「憂鬱の殻」のなか)にいて、明るい未来をただただ信じているのではなく、むしろ、そこから飛び出して、小さくても周りに影響を与えていくことこそが、本当の意味で未来を切り拓くことにつながる、ということなのでしょう。

 

 

私が具体的に想像したのは、例えば、ネットでちまちま情報を得て、居心地の良い小さなコミュニティで(不平不満など含めて色々と)発言し、「明るい未来」を妄信的に信じて、前時代的な価値観に基づいた「人生のレール」をきれいに歩こうとする日々を繰り返すようなことです。それでは、なんの変化を起こすこともできません。ましてや、そのような人が多く存在しているようでは、本当に私達が明るい未来を手に入れられるのかは不明です。しかし、私達ひとりひとりには、新しい時代を切り拓くことのできる可能性が秘められているはずです。そういった可能性を信じて、とにかく世間に広く飛び出していこうと歌っているのだと思います。

 

現代社会では、他者批判が多く、なにをしても叩かれるような感じがしますが、そこで小さく閉じこもってしまうのではなく、強い意志をもって、自分が先頭に立って変えていこう!というスタンスでいってこそ、本当の明るい未来・時代を切りひらいていけるのでしょう。

 

それにしても、曲の最後に「未来は笑ってんのか 未来は泣いてんのか」というフレーズがあることで、やはり問題提起的な曲であると感じます。今を生きる現代人にグサリと刺さる曲ですね。

 

 

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この曲の解釈・考察記事を書きながら、マーガレット・ミード氏の「未来とは、今である」という有名な言葉を思い出しました。

この曲も、未来のためには、「今」が大切であるということを教えてくれます。今を精一杯積み重ねて、“笑った”未来を手にしたいですね!