わんわん電鉄

好きな音楽は、鉄道の路線網のように広がっていくものだと思う

【超個人的解釈】スピッツ『歩き出せ、クローバー』

『歩きだせ、クローバー』は、アルバム『ハチミツ』に収録されている曲です。アルバム曲でありながら、知名度も人気も高い曲です!

歩き出せ、クローバー

歩き出せ、クローバー

 

 

『君と暮らせたら』もそうなんですが、この曲も、瑞々しさが溢れていて、自然豊かで新緑に囲まれた世界にあるような気がします。アルバムのジャケットに、緑豊かな川辺での写真が使われているがために、そのように感じるのかもしれませんね。

 

 

 

この曲には、私の経験も重なったからか、失恋ソングのイメージがあります。

ただ、実際には直接に失恋を連想させるような言葉は歌詞に使われていません。なぜこのようなイメージを持つのか、考えてみたいと思います。

 

・・・・・・

 

イントロのアルペジオが、爽やかで良いですよね。流れるような感じで、歩きながら聴きたくなります。

風に頭を優しく撫でられているような感じがします。時折入る低音も、優しく包み込んでくれるようで良いですよね。

 

 

未知のページ 塗りかえられるストーリー 風に向かい

歩きだせ若くて青いクローバー 裸足のままで Ah ha ha...

未来とか、将来ではなく、「未知のページ」っていう表現が良いですよね~。塗り替えられることになったということは、自分が予想・想像していた未来とは別の未来になる、ということですよね。

 

 

向かい風でも、若くて、まだ1人前ではない(=「青い」)自分は歩き出さなければいけない、という強い意志を表現しているような気がします。

 

「裸足のままで」というのも、素足ならば、地面の石ころや木の枝などによる痛みを直に感じますよね。色んな痛みを感じながらも、前に進んでいかなければいけない、ということなのかなと思います。

 

 

 

 

過ぎた恋のイメージに近いマーク 指で描き

流れ出す自由で激しいメロディー  一人きりで

「過ぎた恋」となると、やはり失恋とか、過去の終わった恋愛を指すんでしょうね。となると、やっぱり失恋ソング? という気がしてきます。

 

「過ぎた~描き」のフレーズは、 本当に秀逸だと思います。表現しがたい切なさが溢れ出てきます。 つまりは過去の恋愛を思い出して、その思い出に浸っているのでは ないか、と思ってしまいます。

 

 

「流れ出す自由で激しいメロディー」というのは、その過ぎた恋を忘れさせてくれるような激しいロックな曲なのだろうと推測します。

よく失恋で辛い気持ちは、音楽を聴いて気分転換して忘れてしまおう、みたいなことが世間でよく言われてますよね。

 

「一人きりで」というのも、 やはりその姿を想像すると切なくなります。その過ぎた恋が上手く いっていれば、一人にはなっていなかったはずなんです。

やはり、 一人で過去の失恋を忘れようとしている様子が思いうかびます。

  

 

 

 

戦闘機よりも あからさまな
君の声 優しいエナジー

戦闘機の音というと、爆音なんだろうと思います。そんな大きな音よりもはっきりと聞こえてくる君の声とは、一体何なのでしょうか。

 

 

おそらく、自分の記憶の中に残っている、過ぎた恋の相手(= 昔好きだった人)の声は、現実に響いている戦闘機の爆音よりも、 明白に聞こえてくるということなんだろうと思います。好きだった人の声は、ずっと心の中で響き続けるものなんですね。

 

その昔好きだった相手の声は、決して忌まわしいものではなく、主人公にとって「優しいエナジー」となっているわけですから、今も その“君”に対して良い印象を抱いていそうです。すなわち、その失恋(過ぎた恋)は、主人公にとって良い思い出になっているのではないかと思います。

 

 

昔好きだった相手の声が、自分にとって優し い力になるというのも、なんだか分かる気がします。たとえ叶わなかった恋だったとしても、それが良い思い出になって、今はその思 い出が今を生きる力になるということもありますよね。

 

 

 

 

歩き出せクローバー 止まらないクローバー
熱い投げキッス 受け止める空 Ha…

やはり、冒頭のフレーズと同様に、これからどんどん突き進んでいこうという強い意志の表明だと思います。ついには「止まらない」 くらいなのですから。

 


なぜ「クローバー」なのかということについて、私の考えとしては 、“幸運の象徴ともなりうるから”だと考えています。

 

ただ、 三つ葉のクローバー(見掛けるのは、三つ葉が多いから) の花言葉を調べてみると、「愛、希望、信仰、私を思い出して、 約束」という意味があるそうです。もし、「私を思い出して」 という意味をこめて、クローバーをこの曲に登場させたのだとした ら、やはり過ぎた恋にまだ少し未練があるようなニュアンスを含ませているような気がします。(多分違うと思いますが…)

 

 

自身がした「熱い投げキッス」を空が受け止めるということは、きっとその投げキッスは本当は、過ぎた恋の相手に向けられたもので あって、その相手が受け止めてくれるわけではないから、空が代わりに受け止めてくれているという感じがします。

空は全てを受け止めてくれる、偉大な存在ですね。

 


また、空に向かって、ということは上を向いているわけですよね。 そうなると、主人公は泣いている可能性もあるのではないか…と邪 推してしまいますが、そこまではさすがに書かれていません。

 

 

 

 

泣きながら笑い出し「嬉しい!」と何度も叫び
寝ころがって眺めた 君のカード 胸にあてる

やっぱり主人公は泣いていたのかもしれませんね。


泣きながら、あえて哀しいという感情とは真逆のこと(笑って、「 嬉しい!」)と叫ぶことによって、その悲しさを少なくさせている のだと思います。一種のおまじないや暗示のようなものだと思います。

 

そこまでしないと悲しみが収まらないとは、やはり過ぎた恋は 主人公にとって、非常に大事で大きなものであったということが伝 わってきます。

 

 

「君のカード」とは、君の姿を写した写真か何かでしょうか。それとも、アイドルのブロマイドなのかと思ってしまいました。そのカ ードを寝転がりながら、胸に当てるという様子は、容易に想像できますね。

胸に当てることによって、その“君”を近くに感じることができるし、“君”に対する想いを噛みしめているのでしょう。

 

 

 

 

入道雲から 伝えている
そのままで優しいエナジー

入道雲」から連想される季節は、夏ですが、本当は1年を通して発生する雲のようです。その雲から伝わってくる何かも、それ自体が自身にとって優しい力となっているようです。

 

 

入道雲~伝えている」の部分のメロディーは、一本調子な感じ(言い方が悪くて申し訳ないです)というか、飛び抜けて高かったり 低かったりする音がなく、平坦なメロディーになっていると感じています。

 

コードは、ここでは、Bm、 A、 G の3つしか使われていません。

 

個人的な感覚ですが、ここの部分の メロディーは、サイレンがうねるように鳴っているイメージや、低い雲が分厚く広がっているようなイメージがあります。

また、梅雨の時期によく聴いていたからか、梅雨の曇り空を思いうかばせます。

 

 

 

 

だんだん解ってきたのさ
見えない場所で作られた波に
削り取られていく命が

冒頭から同じように、「失恋の歌」のような解釈を続けてしてみるとすれば、その過ぎた恋は辛いものであったのでしょうね。

 

例えば、その相手(“君”)は、自分の知らないところで、色んな人と仲良くしたり話したりして、そういう様子を主人公は知らなけ れば、それはそれで済むのですが、知ってしまったときには、心に モヤモヤ感というか、自分の心が急に冷えて凍てつく感じ、きゅうと胸が搾り取られるような痛みを感じるのではないでしょうか。

 

 

「見えない場所で作られた波」というのは、その相手である“君” が自分の知らないところで異性と仲良くしていると言う事実があり 、それが自分を傷つけるものであるということを表しているような 気がしました。

 

片思い中には、そういう“知りたくないこと”を知 ってしまったときには、足がすくむというか、体中の血が冷たくな るような感じがするのですが、私だけでしょうか?それこそ、命が削り取られていくような感じがするのです。

 

 

 

 

混沌の色に 憧れ完全に違う形で
消えかけた獣の道を歩いて行く(Wow ah ah ah ah....)

ここの解釈は難しいですが、やはり憧れていた、期待していた未来とは別の未来がやってくるということな気がします。

 

「混沌の色に憧れ」とは、色々な気持ち(好き、嫉妬、諦めなど?) をひっくるめて、色々な感情を持つ自分を、それ自体として肯定したいという気持ちだろうと思います。

 

「消えかけた獣の道」 というのは、なんとなく想像していた将来、という風に私は考えま した。

 

 


この後もう一度サビが来ますが、この歌の中心的なメッセージは、 やはり若くてまだ無知な自分は、どんなことがあっても、どんどん 前へ進んでいこうという強い決意表明だと思っています。


・・・・・・

 

 

以上、私の個人的な解釈をご紹介しました。

 

 

しかし、これまで書いてきた解釈は、おそらくマサムネさんの意図とは異なるものなんです。

 


というのは、この歌詞解釈・考察の記事を書いている途中に、『やっぱりこの解釈で合っているのか?』と疑問に思い、ネットで調べ てみたところ、どうやら全く違うということが判明しました。

 

 

書籍『スピッツ』には、この曲の制作の意図についてのインタビュ ーが掲載されているようで、この曲は、マサムネさんがとある映画 を見たうえで色々と考えて作られたもののようです。

 

それゆえ、 決して『失恋をテーマに曲を書こう!』といった動機に基づいて作られた曲ではないのです。

※詳しくは、他の方の解釈記事をご覧ください。

 

 

 

私は、失恋ソングなどといった俗な(?)解釈してしまって、本当に申し訳ないなと思いました。

 

マサムネさんの意図を全く知ろうともせずに、勝手な解釈をしてしまって、ごめんなさい。

 

 

このような解釈をしたのには理由があります。(苦しい言い訳)


それは、以前取りあげた『君と暮らせたら』と同様なのですが、私が以前仲良くしていた相手に、突然冷たくされるようになって、疎 遠になってしまったときに聴いていた曲だからなのです。

まあこれを一般的に、失恋と言うのでしょうが、そのときの心情に合うように、この曲の歌詞を勝手に解釈してしまったわけです。

 

 

こういった意図を踏まえて、タイトルにも【超個人的解釈】とつけておくことにしました。

 

私は、スピッツのインタビューや書籍を読んだことがほぼない(また、全てを網羅することも難しい)ので、今後も、マサムネさんの制作意図に反する、もしくは全く無関係な解釈の記事を公表することは多いかと思います。

 

そういった記事を読んでくださったあなたには、「あ〜こういう解釈をしてる人もいるんだな」という風に思っていただけたらと思います。

 

ということで、今後も色々変な解釈をしてしまうこともあるかもしれませんが、ご了承ください。