わんわん電鉄

好きな音楽は、鉄道の路線網のように広がっていくものだと思う

あまり聴かなかった音楽に"再会"するということ

私は、新しくシングルやアルバムをウォークマンに入れるときは、必ず全曲入れるようにしている。今まで聴いていなかったアーティストのものならば、尚更だ。


しかし、全曲入れるからと言って全曲好きなわけではないし、どちらかといえば、その時点ではあまり受け付けないということの方が多い。

それではなぜ全曲入れるのか。

 

理由は単純である。

それは、ただ“再会”をしたいからだ。
将来、今まで聴かなかった曲に“再会”したいからだ。



以前、私は星野源『恋』のカップリング曲まですべてウォークマンに入れた。そして、最初は『恋』ばかり聴いていて、カップリング曲である『Continue』はほとんど聴いたことが無かった。

当時はなんとなく心に響かず、さらっと私の中で流れていってしまった。

しかし、その後しばらくして、テレビCMに『Continue』が使われ、それを耳にする機会が多くなった。私は、単純に「おっ、この曲良いじゃん。もっと聴きたいから、何のアルバムに入っているか調べて、買おう。」と思った。

すると、自分が既に持っているシングルの中のカップリング曲であることが判明し、「この曲だったのか!」と思いながら、自分のウォークマンにその曲が入っていることを確認し、その曲と“再会”した。



また、あいみょん『青春のエキサイトメント』を購入した際にも、似たようなことがあった。

最初は、『生きていたんだよな』と『君はロックを聴かない』ばかりを聴いていた。他の曲も何回か聴いてみたが、そのときの私には、なんとなく遠く感じ、ほとんど聴かなかった。

その後、音楽チャートであいみょん『愛を伝えたいだとか』が毎週ランクインするようになると、私はまたその曲がもっと聴きたくなり、星野源『Continue』と同じ流れで、自分のウォークマンに入っている『愛を伝えたいだとか』に“再会”した。




こうして“再会”したときには、非常に深い感動を覚える。

「聴きたい!」と思ったときに、自分のウォークマンですぐに聴けるというのも感動であるし、その曲が長い間自分のウォークマンに入っていたという事実にも驚く。

そして、その曲の良さに長い間気づかなかった自分を責めるのも楽しい。



「わざわざ“再会”だなんて、馬鹿馬鹿しい。結局は世間で人気が出た曲に飛びついてる、ただのミーハーではないか。」などと思う人も多いだろう。

しかし、それで良い。

ミーハーであるおかげで、今までウォークマンで眠っていた曲を大好きになれたのだから。


“再会”という行為は、私に、自分の何の変哲も無い持ち物から宝を発掘したような気分にさせてくれる。
その宝を発掘したときの、あの形容しがたい感覚--ぶわぶわと、こみ上げてくる鳥肌とでも表現できようか--あの感覚が忘れられない。




また、「結局は聴きもしないのに全曲入れているだけで、ただのアホだ。」と実際に言われたこともある。

しかし私は、まず第一に、もう一度CDを買ったりレンタルしたりする手間が省けて良いと思う。

さらに、ほとんど聴かない曲というのは、普段良く聴く曲がマンネリ化してきたときに、新鮮さを与えるエッセンスとして機能する。



こういった理由があって、ついつい私は全曲をウォークマンに入れてしまう。


私は“再会”によって得られる感動を体験したいがために、これからもすべてのカップリング曲、アルバム曲を入れるだろう。

今の自分はその曲を聴かなくても、未来の自分がそれを聴きに来るはずだから。

将来の自分に期待している。


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これは、とあるサイトに投稿したけれども、ボツになってしまった文章です。


個人的に強い思いの詰まった文章なのに、お蔵入りしてしまったのが、あまりにも無念だったので、こちらで公開することにしました。


こういう経験って、割とあるような気がします。というか、昔からコレばっかりです。


最初から『将来大好きになるだろうな』と期待しながらウォークマンに曲を入れるという行為が、たまらなく私をワクワクさせます。


ウォークマンの容量が、結構すぐにいっぱいになってしまうのは、とても痛いですが…笑