わんわん電鉄

好きな音楽は、鉄道の路線網のように広がっていくものだと思う

【解釈・考察】aiko『二人の形』

『二人の形』は、アルバム『桜の木の下』に収録されています。

二人の形

二人の形

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このブログで、これまでaikoさんの曲について詳細に取り上げたことはなかったと思います。今回の記事で、はじめてaikoさんの曲について取り上げてみようと思ったのは、単に、"今めっちゃハマっているから"です笑

 

 

はじめてaikoさんの曲にハマったのは、かれこれ十数年前、私が小学4年生のときです。周りの子に「好きな歌手はだれ?」と聞かれて、「aikoだよ!」というと、「だれ~?」と返ってくるのが日常茶飯事でした。今思えば、10歳でaikoさんの曲を聴いているなんて、相当マセてるなぁ・・・という感じです(aikoさんのアルバムのCMに出演されていた幼かった芦田愛菜ちゃんも、少しませてる女の子を演じられていましたね)。当時は、よく分からなかった歌詞の意味も、大人になった今では、「あぁ・・・」としみじみと聴けてしまいます。

 

 

 

そういうわけで、今回は、アルバム『桜の木の下』から、『二人の形』をご紹介したいと思います。

 

 

・・・・・・

 

 

この曲のテーマについて、私は、“今の恋人との恋愛は、今までとは全く違っているために色々と戸惑うところがあるけれど、少なくとも今の私はあなたといたい”ということだと考えています。この曲の女性は、一方的に好き!という強くて真っ直ぐでぶれない気持ちを抱いているというよりかは、「あなたのことを好きだと思う、うん、これでいいんだ、好き。」と、自分の中で何度も確認しているような不安定な気持ちを抱いているように聞こえるのです。

 

 

・・・・・

 

 

フェードインしてくるピアノとドラムが、少し気怠そうな感じで、たまりませんね~日常を一部切り取ったような始まりを思わせます。そのうえ、ヒョーヒョーした風のような音が重なってきますが、これもどこか寂しげといいますか、不安定さを感じさせます。

 

 

ハンカチ1つ渇かないそんな心の中じゃ
見つかる物も見つかんないわ 少し暖めて下さい

主人公の女性は、どこか憂鬱な気持ちになっているのでしょう。こんな気持ちでは、心の中になにかを探しても見つかりはしないだろうから、実際の「あなた」のぬくもりを感じることで、それを見つけたい、ということなのかなと思います。

 

 

なにを探しているのかは、この曲のなかでは明らかにはなりません。個人的には、「自分があなたを好きだということについての確信的な気持ち」、あるいは、反対に「あなたが自分を好きだということについての確信的な気持ち」かなと思います(もし後者であったとしたら、冒頭に私が述べた説は早速崩れてしまいますね(笑))。

 

 

あなたののどを流れる息にあたしの前髪が揺れる
季節が変わっても時が経ってもあなたのそばにいたい

「あなた」と「あたし」には、結構な身長差があるようですね。それを心地よく感じているのか、あなたの息を感じて、これからもずっとあなたのそばにいたいと感じているのだろうなと思います。

 

 

 

あなたにはあたししかいないなんて

そんなことは到底言えないけれど

今のあたしにはあなたしかいらない

見えない気持ちを信じて言える

「あなた」がこれからも「あたし」とずっと一緒にいてくれるか(=「あなたにはあたししかいない」)どうかについて、「あたし」は確信を持つことはできないのでしょう。相手の気持ちがこれから(というか今においても)変化していくかもしれないとという不安を抱えているんだろうなと思います。

 


それに対して、「あたし」には「あなたしかいらない」と言い切っています。ここだけ読むと、『主人公は、相手に対してゾッコンなんだなぁ・・・」という感じがしてくるのですが、私としては、「今のあたし」と「見えない気持ち」という言葉から、そうではないのではないかと考えるのです。すなわち、まず、主人公が「今のあたし」と言っている以上は、現時点では、“未来の”あたしもあなたしかいらないという可能性への言及を避けている(あるいは、その可能性を排除している)と読むことができると思います。つぎに、「見えない気持ち」と言うのも、主人公の中には、相手を愛していると確信できるような気持ちが見いだせていないにもかかわらず、「今のあたし」が何らかの理由で「あなたしかいらない」と思ってしまうから(不安からか、孤独からか・・・?)、無い気持ちを無理矢理作り上げて、それを信じようとしていると読むことができると思います。

したがって、「あたし」は、「あなた」のことをそんなに好きではないけれど、なんとか気持ちを見つけようとして、それを信じて、「あなたしかいらない」と言っているのかなぁ・・・と思います。個人的なイメージとしては、愛というよりかは、少し執着に近いような感じです。何らかの理由から、すがるような気持ちがあるのでしょう。

 

 

 

あったかい夏の始まりそうなこの木の下で結ぼう

夏なのに、“暑い”のではなく、「あったかい」なのもまた気になります。私は、これは、二人の恋のおだやかさを表しているのかなと思います。2番の歌詞をどう読むかによって変わってくる部分でもありますが、それを「主人公の過去の恋愛」として読むとすると、「あったかい夏」とされる理由は、主人公が今の恋への物足りなさを感じているからなのではないでしょうか。

 

 

例えば、主人公がこれまでに経験してきた恋愛は、どれも熱く、主人公が相手を情熱的に好きになるというようなものだったのではないかと想像します。それに対して、今の恋愛は、主人公のなかに燃え上がるような気持ちが生まれることはなく、非常におだやかで、本当に相手のことを好きかどうかも解らないくらいさっぱりとした気持ちしか生まれないがために、何かが足りないような感覚に陥っているのではないかと思います。そうすると、やはり暑いというよりかは、「あったかい」というようになるのではないでしょうか。

 

 

まぁただ単に、「あなた」が激しい熱い人ではなく、非常に穏やかであたたかな人であるということを表現しているだけかもしれません。この後に「手を引くあたしに笑ってついてきてくれるそれが2人の形」というフレーズが出てきますが、この部分から、「あなた」は主人公をグイグイ引っ張っていくタイプではなく、一歩後ろをついてきてくれるタイプだと言うことがわかりますから、この見解のほうがふさわしいかもしれません・・・最初に述べた見解は、ちょっと妄想がいきすぎました(笑)。

 

「この木の下」は、アルバム「桜の木の下」にかけているのでしょうか。となると、桜の木とかになるのかなぁと思います。

 

 

愛する事も抱きしめる事も本当不器用で
ずっと傷ついて 失って ここまでやってきたのね

2番のこの部分と、次の部分は、誰のことについて歌っているのかは明らかになりません。私は、この部分を、先程述べたように、主人公の過去の恋愛体験として読んでいます。「やってきたのね」という言い方は、どうも他人の行為を評価するような言いぶりに聞こえます。しかし、次の部分も含めて考えてみると、また、ここに主観性が強く出ていると感じるとすると、どうも主人公のことを言っているのではないかという気がしてきます。よって、ここでは、そのように読むことにします。

 

 

主人公は、これまでの自身の恋愛では、傷つくこと、失うことばかりであったと歌っています。だからこそ、「今のあたしにはあなたしかいらない」といえるのかなと思います。今までとは少し違った恋愛だけれども、ボロボロに傷ついた今の自分には、あなたが必要なんだ・・・という気持ちです。

 

 

 

両手にあまる程たくさんの恋をしたってそれは
決して誇れる事じゃなくて悲しんでゆく事なのね

私がこの曲のなかで一番好きな部分です!!

前半を少し気怠そうに歌い、「それは」から力強く歌い出すという歌い方も、歌詞も、とても秀逸で大好きです。

 

 

一般に、恋愛の数は多ければ多いほど良い(なぜなら、数多くの恋愛経験によって、その人が成長することができるから、だから誇らしい)とか、言いますよね(言わない?!)。しかし、現実はそうであるはずがなく、過去の恋愛によって悲しむことのほうが絶対的に多いですよね・・・めちゃくちゃ真理だと思います。

 

 

 

私自身、「両手にあまる程たくさんの恋」をしたことはありませんが、片手の数くらいの恋をしたことはあります(笑)。時間が経って、昔好きだった人を思いだすと必ず考えるのが、「あの人は今何しているのかなー」ということです。以前、おそらく一生忘れないであろう、昔好きだった中学の先輩が数年後、特定の人となんだか親密だということを知ったときには、かなりショックを受けました。そういうもんですよね。

 

 

 

昔好きだった人が、“自分以外の”誰かと付き合って、結婚するんだと思うと、それはもう悲しくてしょうがないですよね。今の自分にそういう相手がいない場合には、ますます悲しいですよね。好きになった人の数が多ければ多いほど、自分以外の誰かと幸せになるシーンを見る(であろう)回数が増えていくわけですし、その人が一度は好きになったことがある人だからこそ、なかなか処理しきれない複雑な感情が生まれてしまうのです。そういうことを歌っているのかなぁと思います。

 

 


上の2つの部分からして、やはり「あたし」は過去の恋愛によって相当傷ついているのだと思います。主人公は、昔好きだった人が幸せになる場面を見てしまったんですかね・・・?だかこそ、「今のあたし」にとっての「あなた」は、好きとかどうとか関係なく、精神的な安定を実現するために必要な存在なんだということなのかもしれません。

 

 

雨が降ったらはぐれないように指の間握ろう

「雨が降ったら」というのは、「あたし」の心模様のことを言っているのだと思います。主人公がなんらかのきっかけで憂鬱な気持ちで塞ぎ込んでしまったとしても、そういうときには、「あなた」と「はぐれないように」、そばにいてほしいということなのだと思います。

 

それにしても、「指の間」とは、どの辺なのでしょうか。手を握るのではなく、「指の間」となると、恋人つなぎになるのでしょうか。

 

 

たとえ夜明けがない雲も切れない
そんな空の下でも
手を引くあたしに笑ってついてきてくれるそれが2人の形

先ほどの「雨が降ったら」と似ていて、この曲には、天候が悪いシーンが多く出てきます(というか、それしか出てきません)。

 

 

普通に読めば、どんな最悪な、塞ぎ込みやすくなりがちな状況でも、「あなた」といれば幸せ、みたいなことを言っているのでしょう。しかし、私は、「たとえ夜明けがない雲も切れない」は、主人公の「あなた」との関係における、さえない天気のような心模様を歌っているのではないかと思うのです。すなわち、主人公は、「あなた」といて、パーッと暑いくらいに晴れるような気持ちになることはないだろうと思っていて、おそらくこれからもじめじめとした、暗い天気のような気持ちで居続けるんだろうと予想しているのではないでしょうか。これから仮に、そういう状況が続いたとしても(「たとえ・・・」)、どうか私についてきてほしい、どうか私のそばにいてほしいと思っているということなのかなと思います。

 

「あなた」に対して、明確に「好き」という感情を抱いていないにもかかわらず、これからもそばにいたいと思っているというのはどういうこと?と思われる方もいるかもしれません。これは私としては、この曲のポイントだと思っている部分で、これまでも繰り返し意識して書いてきた部分です。というのは、「あたし」にとって、「あなた」はどこか物足りなくて、どうも心から「好きだ」と思えるような相手ではないけれども、過去の恋愛によって今もなお傷ついて、悲しんでいる自分には、いなくてはならない存在だと思っているということです。やはり、「好き」という気持ちよりかは、自分の気持ちを安定させるためにいてほしいという気持ち(もっと言えば、あなたまでもがいなくなってしまったら、自分は一人ぼっちになってしまうとわかっていて、それを絶対に避けたいという気持ち)が強いのではないでしょうか。ある意味、打算的だし、あんまり良くない恋愛だとは思います…しかし、そういう主人公の気持ちもわからなくはありません、傷を埋めるための恋愛というのも、世の中ありますからね。

 

 

ちなみに、この部分では、バックでぽわぽわした電子音が鳴っているのですが、これがなんともエモいんですよね〜気持ちがきゅうっとなります笑

2000年代前半の楽曲によく出てきているような印象があります(今はあんまり聞かなくなりましたね)。

 

 

 

・・・・・・

 

 

以上、aikoさんの『二人の形』の歌詞の考察をご紹介しました。ちょっとひねくれた解釈をしすぎたかもしれませんが、私にはそんなふうに聞こえます…笑。

 

もしかしたら、高校時代、私がそのような恋愛経験をしたことがあるからかもしれません。失恋の傷を埋めるために誰かと交際するのは…お互いに割り切っているならいいと思いますが、そうでないのであれば、ダメゼッタイって感じです。

 

 

【考察・解釈】スピッツ『フェイクファー』

『フェイクファー』は、アルバム『フェイクファー』に収録されています。

フェイクファー

フェイクファー

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イントロのアルペジオから、「ファー」のような柔らかさやふわふわ感が感じられるのに対して、途中から歪んだギターや主張の強いドラム・ベースなどが入ってきて、重厚感やかたさ、現実感が感じられるようになるといった、音的に非常にメリハリのある楽曲となっています。

 

 

そして、このメリハリ感が、儚い歌詞と相まって、聴く者を曲に感情移入させているような気がしています。というのも、私がこの曲を初めてしっかりと聴いたとき、本当に涙が出てしまったからです。『なんて切ないんだろう』、『主人公の気持ちがよくわかる・・・』と、胸が締め付けられるような気持ちになりました。感動する(せざるをえない)一曲だと思います。

 

 

・・・・・・

 

 

あたたかみのあるアルペジオとともに、次のように言葉がはじまります。

柔らかな心を持った はじめて君と出会った

少しだけで変わると思っていた 夢のような唇を

すり抜けるくすぐったい言葉のたとえ全てがウソであっても

それでいいと

一行目の歌詞は、普通に、「君」と出会ったことが書かれていて、そうなんだーという感じなのですが、二行目からは、「少しだけで変わると思っていた」と、少し不穏な雰囲気が出てきます。

そして、そんな「君」から貰えた「夢のような唇をすり抜けるくすぐったい言葉」も、それが全てウソであっても構わないなどと言い出していて、ますます不穏な雰囲気が出てきます。

 

「たとえ~」のあたりから、ドラムやベースが追いうちをかけるように(!?)ドンドンドンドンと迫ってきます。ここで突如現れる「力強い音」が、曲の冒頭で歌われていた"虚構の幸せ"の内側に隠されている(意図的に隠している)「ウソ」を暴いて、表面的な幸せを剥ぎ取っていくような感じがします。

 

 

 

それにしても、「唇をすり抜けるくすぐったい言葉」という表現がまた素晴らしくて好きです。おそらく「君」は、主人公のことを心から愛しているというわけではないからこそ、そういった言葉がすらすらと出てくるということなのかなと思います。一般に、相手を本当に想っているならば、なかなか愛の言葉のような「くすぐったい言葉」というのは、口にしにくいものだと思います。

大して好きでもない相手にはいくらでも好きと言えるのに・・・みたいな経験、ありませんか?(苦笑)

 

 

 

 

憧れだけ引きずって でたらめに道歩いた

君の名前探し求めていた たどり着いて

この部分を聴いて私が考えたのは、主人公は「柔らかな心を持った」「君」とはじめて出会ったときから、ずっとその人への想いを断ち切れずにいるのではないか、ということです。さらにいえば、出会ったときからなのか、出会ってからなのかは分かりませんが、既に「君」は誰かの相手なのではないかということです。すなわち、主人公と「君」との関係は、この曲のなかにははっきりと出てきませんが、不倫とか浮気といったものであり、背徳的な恋愛によるものなのだろうなと思っています。

 

 

ずっと「君」のことが忘れられなくて、「君」に決まった相手がいるとしても、ずっとその人に対する憧れを断ち切れずにいた・・・そんなエピソードが思いつきます。

 

 

 

分かち合う物は

何も無いけど恋のよろこびにあふれてる

ここがこの曲の実質的なサビに当たる部分だと考えています。

 

この部分から、感覚的には、地に着いていた足がふわふわと浮き始めたような感じがします。これは、先ほどまでは現実に目が向いていた(「君」のくれる言葉がウソだと分かっているということ)のに対して、ここからは、そういった都合の悪い現実からは目を背けて、ただただ「君」との虚構の関係の喜びで胸がいっぱいになっているという主人公の感情を表現していると思います。

 

 

また、リズムよくギターのジャーンという音が入ってきますが、これが、主人公の心の中で感じられているであろう「恋のよろこび」を表現していると思います。これは個人的な感覚の話なのですが、恋しているときの喜びの感情は、心にじんわりとしたあたたかさをもたらしてくれるような感じがします。この「じんわりとあたたかくなるような感覚」を、そのギターが表現しているような気がします。

 

 

 

「君」は、主人公のことを心から愛しているというわけではないからこそ、主人公と気持ちを共有しているわけではないということなのでしょう。

主人公は、「君」と気持ちを同じくしているわけではないということを知りつつも、自分が独りでただ「恋のよろこび」を感じられているようです(ちょっと、独りよがりすぎる・・・!?)。ここから、個人的に、それはそれでいいやという主人公の少し諦めに近い気持ちを感じてしまいます。

 

 

 

この後、この曲の冒頭と同じ「やわらかな~夢のような」というフレーズが繰り返されます。

なぜここでは「夢のような」で切れているのか、よくわかりません・・・すみません。一つ私が考えうるのは、曲の冒頭の「夢のような」は「言葉」に係る修飾語として用いられているのに対して、ここでは、「夢のような」が主人公の感情を直接的に表す語として用いられているのではないか(あるいは、「少しだけで変わると思っていた夢のような」でひとまとまりになっている?)ということです。つまり、「夢のような」は、二重の役割を有しているのではないかということです。

 

 

 

偽りの海に体委ねて恋のよろこびにあふれてる

キンキンと甲高いギター音が響く切ない間奏を経ての、この言葉です!!!

「偽りの海」と、はっきりと「偽り」と言ってしまっているのです。主人公は、すでにそのように分かったうえで、それでも、「恋のよろこび」にあふれているというのです・・・どんどん心が痛くなってきます。

 

 

 

しかも、それに体を委ねるというのですから(受け身的)、ますますもの悲しさが増してくるように思います。自分主導でどうにか関係を変えられるような可能性はなく、「偽り」であることが不変のものとして確定しているということを、主人公は受け入れているわけです。ここでは、主人公が「君」との関係が虚構であるということだけでなく、主人公が「君」の本命になれない、本当の恋愛関係に変えられる力もないという無力さをも受け入れているのだと思います。普通に考えたら、つらさしかないであろう恋愛においてすら、「恋のよろこびにあふれてる」といえるのですから、主人公は「君」に対して、私たちが想像できるよりもずっと強い恋愛感情を抱いているのでしょう。

 

 

 

今から箱の外へ二人は箱の外へ未来と別の世界

見つけた そんな気がした

ここが私が一番好きな箇所です。

『THE GREAT JAMBOREE 2014“FESTIVARENA”日本武道館』に収録されている『フェイクファー』の、この箇所を聴いて、鳥肌がたつほど感動してしまいました。CD音源のほうだと、マサムネさんの声に少しエフェクトがかかっているようですが、ライブ音源のほうだと、マサムネさんの素の伸びやかな、やわらかな声が聞けます。どちらのバージョンも好きなのですが、後者は、この曲の切なさをより際立たせてくれると感じています。このときのこのマサムネさんの声は、どこか少年らしさが感じられて、だからこそ、ただただ無邪気に「君」に恋している主人公が表現されているように思えるのです。

 

 

バックで響いている甲高いギターが、こみ上げてくる、高ぶる気持ちを表現しているように聞こえます。主人公は泣きそうになりながら、「君」との未来を少し考えたのかなと思います。

 

 

「箱」というのは、今のままの関係でしかいられない世界ということなのでしょう。主人公にとっては、そんな世界は、狭っ苦しくて行き場のない「箱」も同然ということだと思います。

 

そして、「箱の外」という「未来と別の世界」を「見つけた/そんな気がした」と歌われますが、これがなんともむなしいといいますか・・・もの悲しいといいますか・・・胸がきゅうっと苦しくなります。言葉のチョイスが絶妙ですよね。もしこの部分が、"見つけたような気がした"という言葉と、「見つけた/そんな気がした」という言葉を比べてみると、やはり後者のほうが、重みがあって、さらに心を痛めつける(笑)ような感じがします。前者だと、さらっと受け止めているだけ(主人公が心を痛めている様子は見受けられない)に聞こえます。それに対して、後者だと、「見つけた」という言葉で一度「事実」を確定させて、次の「そんな気がした」という言葉で、見つけたという「事実」がただの本人の思い込みによるものであったとして、前の言葉を打ち消すことによって、ぬか喜び感が増幅していると思うのです。

 

 

このぬか喜び感は、言葉だけでなく、音によっても表現されていると思います。最後の、「そんな気がした」の「しーたー」の部分で、たーのところで音がはじけるように散って、急にふわっと浮くような感じがします。これこそ、最後に昂ぶっていた感情がぶわっと押し寄せてきて、でも結局これはどうにもならないんだと悟って、夢から醒めてしまった、という主人公の気持ちを表現しているのではないかと思います。聴いていると、それまで感情的に盛り上がるような音が響いていたからこそ、「たー」のところでは、無になる感じ、頭が真っ白になる感じ(さらにいえば、駆け抜けてきた道の先は行き止まりの崖になっていて、そこから飛び降りるような感じ)がします、私だけでしょうか笑。

 

 

 

主人公の気持ちについて、これまで私は、主人公は、自分が「君」の本命ではないということを知っていて、そのことを受け入れて、2人の関係の進展を諦めていると書いてきました。しかし、実は、主人公は「君」との未来を諦めてはいなかったようです。

確かに、冒頭でも、「少しだけで変わると思っていた」とあるので、完全に諦めたわけではないということが少し読み取れるでしょう。ただ、それからは、現実を受け入れて諦めた上での「恋のよろこび」があるとうたっているように思えます。となると、最後の最後にこのようなフレーズが出てくるということは、主人公の押し殺していた本当の気持ちが"最後に"爆発しているということなのではないかと思います。

 

 


ちなみに、ここでいう"最後に"というのは、例えば、「君」との別れのタイミングなのではないかと思うのです。この次に、「柔らかな~出会った」と冒頭の事実を述べるフレーズが再び登場しますが、これが物語の「起」であるとするならば、「今から~」の部分は、「結」なのではないでしょうか。曲調的にも、この部分が(感情の)ピークでしょうから、いったんここで物語が終わる、という感じがします。換言するならば、感情という星の爆発、後に再び新たな星が生まれるということです。

そして、また冒頭のフレーズに戻ることが、もう一度主人公と「君」との物語が始まることを予感させてくれます。

 

 

 

・・・・・・

 

 

以上が、私なりの『フェイクファー』の解釈になります。少し変に熱く語りすぎました・・・すみません。

私は音楽家ではないものの、音に関しても言葉に関しても、『フェイクファー』は、スピッツの曲のなかでも特にその絶妙さがピカイチだと確信しています。だからこそ、素人ながら、色々と語りたくなってしまいました。

 

 

個人的には、この曲には相当強い思い入れがあります。

私が大学2年生のときに、この曲に出会ったのですが、その頃は、ちょうど失恋したというか、仲良くしていた(と思っていた)人と突然疎遠になった時期でした。初めてウォークマンでしっかりとこの曲を聴いたのが、授業前の大教室の一番前の席でのことだったのですが、意味を考えてみたら、『未来があるような気がしていたけど・・・勝手に独りでドキドキしてただけなんだなぁ』とか思えて、休み時間、大人数のなかでこっそりと泣いてしまいました(イタイヤツ)。だから、ちょっぴり泣いた後の顔で授業に出たということをよく覚えています笑。そして、なぜか、その授業の担当教員も、突然、自身の過去の恋愛話をしだして、私はますます切なくなってしまった・・・ということがありました。

 

 

話を元に戻して。本当にマサムネさんが天才だな~と思うのは、『フェイクファー』という言葉から、"偽りのぬくもり"という意味を取り出せるところです。普通、フェイクファーなんて言葉を聞いても、偽物のファーだとか、エコなファー、形が整っているファーくらいの意味合いしか思いつかないと思います・・・本当にすごいなぁ・・・。

わたしのスピッツの好きな曲ランキング

ついに(笑)、私も「スポッツ曲ソート」(2択から好きな方を選択し、それを800~1500回程度繰り返すと、自身の好みに沿ったランキングが自動で作成されるというもの)をやってみました。

spica404.web.fc2.com

 

 

いろんなスピッツファンの方が作成されていて、私もやってみたいな・・・と数年前から思っていたのですが、いつも3%くらいで断念してしまい・・・(苦笑)

そして今日ついに、100%までやりきることができました!

 

 

そして、予想外のランキングが完成しました笑(途中、うとうとしながらクリックしていたのがよくなかったのか・・・?)

 

私のスピッツの好きな曲ランキングは、以下のようになっています。

 

1    日なたの窓に憧れて
2    インディゴ地平線
3    不死身のビーナス
4    魔女旅に出る
5    ローランダー、空へ
6    ハヤテ
7    流れ星
8    鈴虫を飼う
9    君と暮らせたら
10    恋は夕暮れ
11    胸に咲いた黄色い花
12    聞かせてよ
13    フェイクファー
14    魚
15    スカーレット
16    ベビーフェイス
17    惑星のかけら
18    シュラフ
19    オーバードライブ
20    点と点
21    虹を越えて
22    たまご
23    初恋クレイジー
24    旅の途中
25    夏が終わる
26    歩き出せ、クローバー
27    ネズミの進化
28    恋する凡人
29    心の底から
30    稲穂
31    旅人
32    つぐみ
33    アカネ
34    日曜日
35    魔法
36    ほうき星
37    運命の人
38    ウサギのバイク
39    HOLIDAY
40    夜を駆ける
41    空も飛べるはず
42    正夢
43    死神の岬へ
44    ラズベリー
45    マフラーマン
46    夕陽が笑う、君も笑う
47    グラスホッパー
48    サンシャイン
49    漣
50    ローテク・ロマンティカ
51    トビウオ
52    今
53    ハネモノ
54    アパート
55    花泥棒
56    ハニーハニー
57    ハチミツ
58    僕の天使マリ
59    バニーガール
60    君だけを
61    ビギナー
62    遥か
63    甘ったれクリーチャー
63    僕のギター
65    田舎の生活
66    エスカルゴ
67    待ち合わせ
68    野生のチューリップ
69    楓
70    あじさい通り
71    不思議
72    幻のドラゴン
73    水色の街
74    めざめ(空も飛べるはず
75    夏の魔物
76    海ねこ
77    みそか
78    涙
79    愛のことば
80    ババロア
81    名前をつけてやる
82    放浪カモメはどこまでも
83    ハートが帰らない
84    青い車
85    ミーコとギター
86    ワタリ
87    新月
88    センチメンタル
89    ルナルナ
90    冷たい頬
91    探検隊
92    白い炎
93    シロクマ
94    春の歌
95    夢追い虫
96    船乗り
97    プール
98    僕はジェット
99    トンビ飛べなかった
99    タンポポ
101    涙がキラリ☆
102    海とピンク
103    タイムトラベラー
104    Y
105    恋のはじまり
106    クリスピー
107    若葉
108    春夏ロケット
109    スターゲイザー
110    ナナへの気持ち
111    海を見に行こう
112    孫悟空
113    8823
114    さわって・変わって
115    猫になりたい
116    ニノウデの世界
117    魔法のコトバ
118    謝々!
119    いろは
120    ムーンライト
121    ホタル
122    スパイダー
123    ありふれた人生
124    けもの道
125    ミカンズのテーマ
126    P
127    波のり
128    渚
129    恋のうた
130    愛のしるし
131    ガーベラ
132    えにし
133    スピカ
134    ハイファイ・ローファイ
135    君が思い出になる前に
136    花の写真
137    三日月ロック その3
138    夢じゃない
139    ヒバリのこころ
140    砂漠の花
141    ドルフィン・ラヴ
142    メモリーズ・カスタム
143    裸のままで
143    リコシェ
145    うめぼし
146    優しくなりたいな
146    月に帰る
148    トンガリ'95
149    スーパーノヴァ
150    おっぱい
150    甘い手
152    黒い翼
152    エトランゼ
154    トゲトゲの木
155    ジュテーム?
156    あわ
157    マーメイド
158    TRABANT
159    多摩川
159    さらばユニヴァース
159    たまごの秘密
162    まもるさん
162    シャララ
162    アナキスト
162    惑星S・E・Xのテーマ
162    テクテク
162    初恋に捧ぐ
162    あかりちゃん
169    エレクトリックシューズ
169    自転車
169    ビー玉
169    ヘチマの花
169    12月の雨の日
169    宇宙虫
169    チェリー
176    テレビ
177    テイタム・オニール
178    仲良し
179    SUGINAMI MELODY
180    群青
181    大宮サンセット
182    コスモス
183    五千光年の夢
183    どんどどん
183    夕焼け
186    ただ春を待つ
187    桃
188    俺のすべて
189    鳥になって
190    青春生き残りゲーム
191    ルキンフォー
192    ロビンソン
193    ナイフ
194    会いに行くよ
194    死に物狂いのカゲロウを見ていた
196    君は太陽
197    ほのほ
198    リコリス
198    俺の赤い星
198    オケラ
198    タイム・トラベル
198    UFOの見える丘
198    353号線のうた
204    迷子の兵隊
205    クモ少年が走る
205    ハッピー・デイ
205    ワンツー!ワンツー!
205    ファズギター
205    14番目の月
205    さすらい
205    ウィリー
212    八王子
212    Na・De・Na・Deボーイ
214    ビーマイベイベー
214    ラクガキ王国
214    晴れの日はプカプカプー
214    さよなら大好きな人

 

 

 

上位10位は、納得の選曲です。

後半(150位~)になってくると、少し「アレ?」という感じではあります・・・聴いたこともない曲の方が、聴いたことのある曲・よく聴く曲よりも上位にランクインしているという現象がみられるからです。選択をどこかでミスったのでしょう・・・。

 

 

それにしても、自動的に作成された「好きな曲ランキング」は、すごいですね!自ら手動でランキングを作成しようとすると、どうしても「これとこれ、どっちの方が上位かな?」と悩みますし、そのことで悩みすぎて作成できないで諦めてしまうことが多いからこそ、こういう自動作成ツールは画期的だなぁと思います。

また、自分の好みを客観視できるという点で、このランキングは面白いなと思います。

 

 

まだやったことないよ~という方に、是非おすすめしたいです!

お時間のあるときにどうぞ!

わんわん電鉄・ご利用案内(自己紹介のようなもの)

はじめましての方は、はじめまして。

いつもご覧いただいている方は、こんにちは。

 

こちらは、「わんわん電鉄」という個人ブログです。

“電鉄”という、いかにも鉄道ファンによる鉄道ブログっぽい名前ではありますが、本ブログは、J-POPやJ-ROCKの楽曲についての自由な解釈や考察を展開するものです。紛らわしくて申し訳ございません。

 

 

現在は、スピッツを中心に、レミオロメン藤巻亮太ロードオブメジャーなどの楽曲を取り上げています(これまでに取り上げた歌手・グループについては、「カテゴリー」をご覧ください)。

 

 

本ブログの理念

本ブログは、曲の意味や内容の解釈記事にあまり取り上げられないような曲を積極的に取り上げ、それについて自分なりの解釈や考察を提示することで、アルバム曲やシングルのB面曲ファンの方の"楽曲を理解したいという気持ち"に少しでも貢献したいという想いから開設されました。

 

 

本ブログの目的

本ブログの目的は、以下のようになっております。

・曲の意味内容の解釈記事にあまり取り上げられないようなアルバム曲やB面曲を積極的に取り上げ(もちろん、広く取り上げられている曲も取り上げることがある)、それについての考察・解釈記事を発表すること。

・アーティストのファンとして、特定の観点に基づいて、楽曲を紹介すること。

 

 

ブログ名の由来

「鉄道ブログ」ではないのに、それらしい名称なのか・・・?と思われた方も多いと思います。

それは、様々なアーティストの楽曲をとりあげることが、「路線図」の広がりのように思えたからです。例えば、東京メトロでいえば、大手町駅を中心に、丸ノ内線日比谷線副都心線、千代田線といった様々な路線が都内で広がっています。そして、各路線に様々な駅があります。これと同じように、「音楽」という「駅」を中心に、スピッツレミオロメンロードオブメジャーJUDY AND MARYなどといった「路線」が広がっていて、各「路線」にそれぞれのアーティストの曲という「駅」がある、という見方ができると思います。このような意味で、私のブログは「路線図」のようなものであると考えています。

 

だからこそ、『わんわん電鉄』という名前をつけてみました。このブログの様々な「路線」に乗って、素敵な出会いをしていただければなと思います。

 

 

 

ここからは、本ブログを運営しております「私」について、自己紹介させていただきます。

 

自己紹介

私は、どこにでもいる普通の音楽ファンです。

これまで私がどのような音楽に触れてきたのかということについては、次の記事をご覧いただけますと幸いです。

 

 

私がこのようなブログを開設しようと思ったきっかけは、先ほど書いたような目的を達成したいという気持ちもありましたが、それ以上に、「音楽」というものが好きだという気持ちがあるからです。そして、「音楽」が好きな理由は、想い出の音楽や好きな音楽を深く聴いて、その意味や景色を想像して、解釈するという行為により、日常生活が充実するということに気づいたからでした。

 

 

小さい頃から、親の影響で、J-POPを聴くことがとても好きでした。

中学生になって、自分のウォークマンを買ってもらってからは、より「音楽」にのめりこむようになりました。中学時代は、好きなアーティストの曲を網羅しようとすることをはじめ、地上波で放送している音楽番組はすべて録画してすべて観ていましたし、トレンドのアーティストやこれからブレークするアーティストをリサーチしたり、ギターを買って練習して好きな曲を演奏したり、好きなアーティストのラジオを熱心に聴いたり、好きなアーティストのDVDをすべてそろえて鑑賞したり・・・としていました。このことは、一般の音楽ファンとは変わらないと思いますが、私の人生の中では、最も「音楽」というものにのめりこんだ期間でした。

 

 

「音楽」にまつわる様々な活動(?)を通じて気づいたことは、日々聴いている音楽に、日常の想い出がつまってくること、それは後になってから気づくもので、日々聴いていた音楽こそが、人生のタイムマシンになるということでした。

 

 

高校に入学してからは、中学時代に抱えていたような「音楽」に対する情熱は少し冷めて、通学時にウォークマンに入っている好きな曲を聴くというだけの、ライトな音楽ファンになっていました。

 

 

それから、私の人生の転機となったのが、大学1年生が終わるときの春休みでした。

大学入学時は、大学受験に失敗して人生のどん底感を味わっていましたが、大学での様々な人との出会いや出来事を通じて、少しずつ気持ちが回復してきていました。ところが、大学1年が終わるというときの春休みの2月に、突然、これまでぴんと張っていた糸が切れてしまったのです。そして、大学入学時以上に、精神的にやんでしまったり、いろいろと不安になってしまったりして、まともに外出ができないくらいまでになってしまいました。

 

 

なんとかこの不安感や閉塞感を打ち破りたいと思い、いろいろ調べたところ、「寝る前になにか文章をかくとよい」ということがわかりました。

 

日記やポエム、エッセーといったものを書くのは苦手だった(というか、気恥ずかしかった)ので、これまでの私の人生の「一部」であるといえる「音楽」について、とりわけ、思い浮かんだ好きな曲について、自分なりの解釈や感想をノートに書いてみることにしました。1週間くらい続けているうちに、だんだんと不安感や閉塞感が薄れてきました。そして、暖かくなる頃には、そういったマイナスな感情はなくなり、これまで通り過ごせるようになっていました。

 

 

精神的に回復したあとも、好きな曲についてノートに書くことを続けていたのですが、そこでさらなる気づきがありました。それは、好きな楽曲について考えることは、その音楽の世界に深く入り込むこと(時には、曲の作り手と対話すること)であり、また、これまでの様々な想い出を思い返して、心に栄養を与えることでもあるということでした。だからこそ、元気になれたのかもしれません。

 

このようにして、好きな音楽を考察したり解釈したりすることが、充実した日常をつくる基礎になると確信した私は、”楽しい行為の結果”をノートという非常にプライベートな空間にとどめてしまうのはやめて、どうせなら、ブログという形で世間に自分の考えを発信していくほうがいいだろうと思い、ブログを開設することにしました。

 

 

 

また、最近になってから気づいたこともあります。

それは、好きな音楽について考えることは、なんのいさかいもない世界で、日常の喧騒から離れてくつろぐことである、ということです。

 

 

私が今ライフワークとして取り組んでいることは、価値観が対立していて、ほぼ常になんらかのいさかいのある分野を調査したり、それについて新たな考えを提示したりすることです(あまりはっきりとかけなくてすみません)。その分野について考えるだけならまだしも、その分野が所属している大きな分野にも、日常的にアンテナを張っておかなければなりません。その大きな分野は、私が取り組んでいる分野以上に、極端なイデオロギーの深刻な対立を孕んでおり、それに関するニュースを見るたびに、将来を悲観したり、考えこまなければならなかったりします。

 

そのような日々のなかで、自分のライフワークから離れて、自分の時間に、好きな「音楽」について論じることが、自分に対して安息を与えることであり、日常に充実を与えることであると感じました。私が溺愛して聴いているアーティストの楽曲は、いずれも強い政治性を有するものはありません。皮肉な現実世界を歌っているものでもありません。だからこそ、そういった、”誰も傷つかない世界”を歌う音楽を聴き、それについて、意味や景色を考えることは、ある意味で「旅行」に行くようなものだと思います。読書家が、小説を読むことを「旅行」と喩えることと同じです。そのような「旅行」こそが、心を潤してくれ、日常に彩りを与えてくれるのだと思います。

 

 

・・・・・・

 

 

私は専業ライターではないので、更新ペースは決して早くないですが、これからも、少しずつ、私の好きな楽曲についての考察や解釈をご紹介する記事をあげていきたいな思っています。

ちなみに、時折、私の超個人的な思い出話が記事に食い込んでくることがあるかと思いますが、それは、先ほど書いたような理由(想い出の音楽について書くことは、自分の想い出を探訪することでもあること)によるものです。

 

 

そして、そのような記事が、アーティストのコアなファンに届いたら良いなと思います。そう思うからこそ、そういったファンの方に読んでいただいても恥ずかしくないような記事執筆を心がけたいと考えています。

 

これからも、わんわん電鉄をよろしくお願い申し上げます。

【考察・解釈】スピッツ『ナイフ』(詩と絡めた解釈とともに)

この曲は、『オーロラになれなかった人のために』に収録されています。

ナイフ

ナイフ

  • provided courtesy of iTunes

 

 

私はよく、この曲を「睡眠導入剤」代わりに聴きます笑。なぜなら、ベースの重く低い音が心地よく、もやもやとした霧がかかったようなイントロが1分以上続き、そのうえ、マサムネさんの力の抜けた優しく伸びやかな声が広がるために、曲のふわふわとした世界観に包まれるような感じがして、大変心地よく感じられるからです。

 

どんなに眠れないときも、『ナイフ』を聴くと、だんだんと、うとうとしてきます・・・というか、この『オーロラになれなかった人のために』というアルバムそのものが、私にとっては「睡眠導入剤」となっています(『海ねこ』は、このアルバムのなかでは賑やかなほうの曲ですが、入りかけた睡眠の妨げになることはありません!不思議です)。

 

もし、「なかなか眠りにつけない!」というときがありましたら、是非『オーロラになれなかった人のために』を聴いてみてください。

 

 

歌詞の意味を考えてみる

この曲は、一般に、スピッツの曲の中の“エロい曲、あるいは、”怖い曲“として有名かと思います。実際に私も、まだスピッツ沼にはまる前にこの『ナイフ』の歌詞やその解釈を読んでみて、「これは・・・!」と非常に驚いたのを覚えています。

 

 

ナイフ=男性器として捉える解釈が有力(!?)かと思いますが、とすると、かなり変態的に欲望を歌った曲に聞こえると思います。一応、別の解釈として、仮にナイフ=(そのまま)ナイフとして捉えるとか、ナイフ=相手を傷つけてしまいそうなほどにわがままな、自分の欲望として捉えることも考えてみたのですが、やはり通説である“ナイフ=男性器”説が、全体として、一番しっくりくる解釈だなと思います。したがって、ここでは、その通説にたって、歌詞の意味を考えてみたいと思います。

 

 

 

君は小さくて 悲しいほど無防備で

無知でのんきで 優しいけど嘘つきで

「君」について、さすがに蔑みすぎじゃないか・・・!?と思うほどに、「褒め言葉」が少ないですよね。ただ、この表現から、「君」は、か弱くて、ぽや~っとした子なんだろうなと思います。たまに漫画に出てくるような、「本能的に守りたくなるような不思議ちゃん系キャラ」を想像しました。

 

 

「優しいけど嘘つきで」というフレーズが、なんだか引っかかりますよね。私が勝手に想像したのは、「君」はとても優しいからなんでも「いいよー」と言ってはくれるけれども、「僕」が「君」に依頼し、「君」が承認してくれた欲望がすべて実現しているわけではない、ということです。だからこそ、「え、この前は良いって言ったじゃん!」みたいなことになることが多く、しかも、「僕」にとって特に実現したい欲望こそ実現されないから、イライラが募って、「優しいけど嘘つきで」なんて言ってしまうのかなと思いました。考えすぎですかね!?

 

 

 

もうすぐだね 3月の君のバースデイには

ハンティングナイフのごついやつをあげる 待ってて

誕生日プレゼントにハンティングナイフ(そのもの)をもらってうれしい人は、なかなかいないですよね(狩猟を趣味としているならばわかりますが)・・・となると、やはり、“君の誕生日に「僕」のそれをプレゼントするね!(エロいことをしよう!)”と言っているのでしょうね。

 

 

それをあげるよ、まっててね、という言い方が、優しくもどこか変態的な感じがします。この感情はなんとも表現しがたいのですが・・・「ナイフ」という凶器を、(一方的に?)あげるよ、というのがなんとも・・・変態的に感じられます。「ナイフ」は尖っていて、人を切り裂いたりする能力のある危険物です(ましてや、ハンティングナイフです)。それよって「君」は「傷つく」かもしれないわけですし、そのことを「君」もわかっていると思うのです。そんな状態での、「まってて」ですから・・・とても危険な感じですね。

こういう観点から考えると、この「ナイフ」は、男性器という比喩を超えて、「相手を(身体的に?精神的に?)傷つけるかもしれない鋭く尖った“願望”ということなのかもしれません。

 

 

 

私が個人的に気になっているのは、「3月の君のバースデイ」という表現です。なぜ「3月」なんでしょうね。私が勝手に想像したのは、まず、「君」と、例えば「君」が○歳になるまでは、エロいことをするのを禁止!みたいな約束をしていて、そして、その年の3月に「君」が○歳になるから、ついにエロいことが解禁される・・・!!みたいな状態にあるという前提です。だからこそ、「僕」は、「どうして『君』の誕生日は、3月(=年度末、日本では、もっとも“遅い“誕生月)なんだ・・・!もっと早ければ!」という葛藤と、「あれだけ心待ちにしていた3月が来る!」という高揚感を感じているのではないかと思うのです。さすがに考えすぎかもしれませんが、「3月」ですからね・・・「8月」とか「12月」とかではないんです。日本社会特有の“4月はじまり3月おわり”という暦を意識すると、「3月」という月から、どれほど「僕」がその日を待ち望んだのかということを強く感じてしまいます。

 

 

他方で、「3月」ですから、“卒業“というニュアンスもあるかもしれません。この曲の途中で、「血まみれの夢許されて」という歌詞が出てきますが、このことから、「君」は処女なのかなぁと想像します。だから、「君のバースデイ」に、そういったエロいことをするとすれば、それは「君」にとって処女を“卒業”するということだ、という意味も感じられるかもしれません。

 

 

 

 

君がこのナイフを握りしめるイメージを

毎日毎日浮かべながらすごしてるよ

言わずもがなですが、毎日(「君のバースデイ」まで)、「僕」は自分の「ナイフ」を「君」に「握りしめ」てもらうことを考えながら、触っているんだろうと思います。「この」と言っている以上、やはり「僕」の手元に近いところにあるもの、すなわち、自分のそれなんだろうなと思います。

 

 

 

目を閉じて不完全な部屋に帰るよ

いつになっても 晴れそうにない霧の中で

個人的には、この歌詞が一番好きです。

 

私は、「僕」は自分の「ナイフ」と「君」への妄想をし、一息ついた後、自分の理想とする世界にトリップしようとしているのかなと考えています。自分の理想とする世界というと、例えば、「君」と2人きりで過ごす「部屋」とか、「君」と暮らす「部屋」とか、そういったものです。そのようにして、「君」を閉じ込めておきたい場所を、思い浮かべているんだろうと思います。

 

 

そして、この場合、なぜ「不完全」なのかというと、そのような「部屋」は、自分が目を閉じて思い浮かべたときにしか現れず、目を開けば、それはすぐに消えてしまう幻のようなものだからかなと考えています。また、自分のそのときの感情や気力などの心理的なものによって、想像されるものが左右される(だろう)からでもあるのかなと思います。

 

 

となると、「霧」というのも、自分の心のもやもやとか不安とか焦りとか、そういった「負」の感情が象徴されているような気がします。1番の歌詞とは打って変わって、ここの部分では、「僕」の不安定さ・暗さが全面に押し出されているなともいます。

 

 

この部分(Bメロ?)は、1番においてもそうですが、ベースがとても効いていてすごく心地よく聞こえます。また、2番においては、「帰るよ」の“る”と“よ”が、マサムネさんのどこか心許ない声で歌われ、また、それがベースの重苦しい音に乗っかって、独特の雰囲気を醸し出しているなと思います。個人的には、それが、「僕」にとっての不本意な感情を表現しているような感じがします。というのは、「僕」は自ら好き好んで「不完全な部屋」に帰っているわけではなさそう、ということです。それは、現実にすぐに理想的な(=完全な)部屋が実現されないからなのか、「僕」がそこに戻らないといけないとされているからなのか(なぜ?)、理由はわかりません。

 

 

 

果てしないサバンナを行く しなやかで強い足で

夕暮れのサバンナを行く ふり向かず目を光らせて

この部分、マサムネさんのしっとりとした、音と音がつながるような歌い方のおかげなのか、なにかの動物(例えば、シマウマ)が、しなやかな足取りで、それでも、地面をしっかりと蹴って前に進もうとする「強い足」で走っている様子が思い浮かびます。

 

 

サバンナというと、どこか強そうな大きな動物がたくさん住んでいる印象があります。「僕」自身も、そのような“動物”として、広大な「サバンナ」を他のものに目もくれず、ただ“獲物“としての(?)「君」に向かって着々と進んでいる、ということなのかもしれません。

 

なぜ「サバンナ」なのか?ということもまた疑問です。一応考えてみたのですが、「僕」は、砂漠という「虚無」のなかで、わずかに生い茂った草木という「かすかな・ちょっとした希望」を心の支えにして、なんとか頑張って着実に日々進んでいる、ということを表現しようとしているのかなぁという気もしました・・・が、そもそも「砂漠=虚無」として捉えること自体、どうなんでしょうか・・・。

 

(くだらない話ですが、この部分、何度読み返してみても、いいちこというお酒のCMのワンシーンが浮かんできます・・・笑。お酒は飲めないんですけどね・・・苦笑)

 

 

 

血まみれの夢許されて心が乾かないうちに

サルからヒトへ枝分かれしてここにいる僕らは

前半部分は、「血まみれの夢」とは処女である「君」とエロいことをすることであり、その願望が実現する(あるいは、これからするということが確定した)とわかって間もないうちに・・・といったふうに捉えました。そして、後半部分は、(突然冷静になったのか?)なぜか人類の歴史を考えている、と。しかし、これでは意味不明ですよね。記事の後半に、詩と絡めてみた、他の解釈を考えて展開してみました。もしよろしければ、こちらもお読みいただけるとうれしいです。

 

 

 

 

蜜柑色の満月が膨らむ午後6時に

シルバーのビートルを見かけたんだ20号で

今度こそ何かいいことがきっとあるだろう

いつになっても 晴れそうにない霧の中で

一番解釈できなかった部分です。

「蜜柑色の満月」が見られるような日(=非常に珍しいとき)に、珍しい車を見かけたんだ、だから、それが幸運の前触れであるような気がする、ということかなぁ・・・くらいしか考えられませんでした。

ところで、「シルバーのビートル」は、そんなに珍しいものなのでしょうか。さらにいえば、「20号」であることの意味合いは何でしょうか(国道20号??)・・・考えれば考えるほど、この部分は謎が深いです。

 

 

 

「いつになっても晴れそうにない霧の中で」と歌った直後に、突如として、気持ちがだんだんわくわくと盛り上がってくるような、明るい雰囲気の間奏が入ります。だからなのか、この部分での「いつになっても・・・」は、先ほどのただただ「暗さ」が続いていくこと、あるいはそれを強調することとは少し変わって、これからのやってくるであろう「明るさ」や「いいこと」によって終わりを迎えるような予感を感じさせます。今はまだ霧の中だけど、それも終わりが見えている、そんな感じでしょうか。だからこそ、その後に明るい間奏が続くのかなと思います。

 

 

そして、この間奏を終えると、再びイントロと同様の、どこかもやもやとした雰囲気の音がやってきます。しかし、曲の冒頭とは異なり、先ほどの明るい間奏を経たからか、そんなに重苦しくない感じがします。さらに、その後には再び一番の冒頭の歌詞「君は小さくて・・・」と歌われるわけですが、こちらも同様に、一番の時のように変態的な感じとは少し異なり、ただ楽しみにしていてね(こちらも楽しみにしているよ)という明るい感じがします。それは、曲が最後、メルヘンチックに終わることも影響しているのかもしれませんね。(ウィンドチャイム?の音が本当にきれいなんですよね。闇や霧を切り裂いてくれるような感じがします。)

 

 

 

(余談)リルケの詩と絡めて考えてみる

先ほど「後ほど別解釈を展開してみます」として挙げた、

血まみれの夢許されて心が乾かないうちに

サルからヒトへ枝分かれしてここにいる僕らは

この部分について考えてみようと思います。

 

 

※ここからは、超個人的な思い出話と、超勝手な解釈が続きます。

 

私が大学生のころ(唐突な自分語りですみません・・・)、憧れていた方から、ある本を頂戴しました。それは、リルケ(訳 手塚富雄さん)の『ドゥイノの悲歌〔改版〕』(岩波文庫、2010年)でした。私は、文系学部に所属しているとはいえ、文学を専攻していたわけでもなければ、詩というものをまともに読んだこともありませんでした。これまでに読んだことのある詩といえば、小学生の時に授業で扱った、かまきりりゅうじさんの「おれはかまきり」くらいしか覚えていません。

 

 

なぜその方が私にその本をくださったのかはわかりません。しかし、私のために選んでくれた本だということはわかって、そのことがうれしかったので(当時、その方のことが好きだったから、余計に嬉しかったんですよね)、まずはわからないなりに読んでみることにしました。しかし、難解すぎる・・・。訳者さんのあとがきにあるように、まずは詩だけを読んでみることにしたものの、ますますわからない、かといって、注解と照らし合わせながら読んでみても、少し意味がとれない。贈主に詩の意味内容を聞いてみるとかすればよかったのでしょうけど、私は強がったのか、それをしなかったんです。そして、そうこうしているうちに、その方とは疎遠になってしまいました。疎遠になってからは、頂いた本を見るとつらくなるので、本棚の奥にしまいこんでいました。

 

 

それから数年経ったこの前、ふと「また読んでみようかな」と思えたので、もう一度、『ドゥイノの悲歌』の読解にチャレンジしてみました。すると、数年前よりも、内容が身にしみてくるし、そこに書かれている言葉や感情が、自分のなかにもあるということに気づかされたのです。年をとったということなんでしょうか笑

そして、ある部分を読んでいるうちに、「これ、スピッツの『ナイフ』のあそこの意味に近くない・・・?」と思えてきたのです。

 

 

※なお、『ドゥイノの悲歌』については、Wikiをご覧ください(私には難しくて、とうていそれを説明することはできません!)

ja.wikipedia.org

 

 

・・・・・・

 

 

前置きが長くなってしまい申し訳ございません

そういうわけで、リルケの『ドゥイノの悲歌』の第三の悲歌を取り上げてみたいと思います。

第三の悲歌では、訳者さんによると、

前悲歌で、はげしい言葉で、愛の名において行われる異様なむなしさを言ったのに触発されて、実はそのことの根源をなしている性本能の由来の深さとその力のすさまじさを展開したのである。これも人間実存の一態で、人間はこの宿命の河流のなかに、逃れがたく巻きこまれているのである。(121ー122頁)

とのことです。

 

 

まず、詩のある一部分を取り上げてみようと思います。

見よ、われわれは野の花のように、たった一年(ひととせ)のいのちから

愛するのではない、われわれが愛するときわれわれの肢体には

記憶もとどかぬ太古からの樹液がみなぎりのぼるのだ。おお乙女よ、

このことなのだ、愛しあうわたしたちがたがいのうちに愛したのは、ただ一つの沸騰ちかえる(わきたちかえる)無数のものであったのだ。(66-70行目)

※ここでの「愛する」というのは、「存在する」ということと同じ意味だそうです。(注解:120頁)

※実際には、傍点がふってある部分を、太字にすることで表しています。

 

 

 

この部分について、私は、"私たちがお互いを愛し合うとき、お互いから、その者自身が有する人類の長い歴史(両親がいて、祖父母がいて、曾祖父母がいて・・・)を見いだしていて、それを愛しているのだ”ということを言いたいのかなと思いました。

確かに、今ここに生きている私たちは、人類の(それこそ、サヘラントロプス・チャデンシスから続く)長い歴史を背負っているわけです。決して、突如、この地球上に現れたような存在ではないわけです。

 

 

 

この第三の悲歌のなかでは、ほかにも、先ほどの部分に続いて、

そしておんみも、みずからは知らぬまにー、おんみを愛する若者の内部に、

太古をいざない掘り起こしたのだ。(76-77行目)

といったことがうたわれています。

先ほどと同意義のことを言っていると思います。

 

 

 

重複する部分がありますが、私なりにもう一度まとめると、、私たちは、恋人や好きな人、愛する人に対して、その人が有する遙かなる「人類の歴史」を見ていて、それをもひっくるめて愛しているということかなぁと思います。

(そして、愛するという行為よりも前に、そのような「人類の歴史」を見いだしているようです。74-75行目では、「このことが、乙女よ、おんみへの愛の前にあったのだ。」とあるからです。)

 

 

 

また、第三の悲歌のうち、(逆戻りしてしまいますが)冒頭で、

血の河神(2行目)

という存在が出てきます。

これは、訳者さんによると、

性の象徴。世代から世代へ流れつづける血を支配する根源的な威力である。(117頁)

ということです。血という意味から一般に連想しがちな”血統”とか”血筋”とか、そういうものも含まれるのでしょうか。また、訳者さんの仰る「性」とは、性別とかうまれつきの性質といったものを越えて、子孫を残すという文脈で出てくる概念なのかなぁと思っています。

 

 

・・・・・・

 

 

それでは、このリルケの詩とスピッツの『ナイフ』の当該箇所がどう重なるのか、ということは、ここまで読んでくださった方ならもうおわかりいただけるはずです。

 

 

まず、

血まみれの夢許されて心が乾かないうちに

この部分での「血」は、「血の河神」における「血」と同様に、性そのものを表しているのかなとも思います。

そのうえで、少し飛躍しているかもしれませんが、「僕」と「君」との子孫を残し、次の世代を生み出す行為を「血まみれ」と言っているのかなと思いました。血と血が混じるということからも、「血まみれ」と表現しているのかもしれませんね。

 

 

なぜ「・・・夢許されて心が乾かないうちに」なのかは、難しいですね。

この部分は、先ほどの詩と関連させて考えるよりかは、言葉をそのまま捉えるほうが良いと思います。すなわち、人間は大人になるまで、基本的には(だいたいの場合)、本能であるにもかかわらず、そういった行為をすることを禁じられていて、だからこそ、そういった行為は人間にとって「夢」なのかなと思います。また、「僕」が「君」とそういうことができるまでずっと待っているということからも、それは「夢」なのでしょう。

 

その「夢」を実現することが(何者によってなのかは分かりませんが・・・「君」でしょうか?)許されたのだから、「僕」は、早くしたいなぁと待ちわびているのかなと思います。

 

 

次に、

サルからヒトへ枝分かれしてここにいる僕らは

この部分こそ、私が先ほど引用した詩と同じ意味なのではないかと思います。

「僕」は、「君」のことを想うと同時に、「君」を起点にして先祖を遡ることによって、「君」を通じて人類の歴史を見ているのではないかと思うのです。「あるとき」を境に、「ヒト」と「サル」は別の発達を遂げるようになるわけですが、その分岐点を丁寧にもたどって、人類の原始的な状態である「サル」に遡っているのかなと思います。

そして、「僕」は、そのことを、「君」も「僕」に対してしているだろうと想っているのだと思います。だからこそ、「僕らは」という表現なのかなと考えます。

 

 

 

リルケの詩と絡めた解釈は、いかがでしょうか。

私自身も、この部分の意味について、最初は全くわからなかったのですが、たまたま読んだこの詩のおかげで、もしかしたらこういうことかな?と少し分かるようになりました。

この部分は、人類の壮大さを感じさせる素敵な部分だなと思います。

 

 

 

(実のところ、このように、ある詩の解釈をそれとは全く関係のない曲の解釈に勝手に絡めてしまってもいいのか?という葛藤がありました・・・が、やってしまいました。引用の仕方とか、詩の扱い方とか、全然わからないままとりあえず書いてしまいました。すみません・・・。

偶然、ドイツ語文学を専攻されている方に本記事をご覧いただくことがあるとしたら・・・なんて想像すると、胃が痛くなりそうです・・・が、ええい、書きたいので書いてしまおう、、とりあえず、色々とすみません・・・!)

 

 

 

・・・・・・

 

 

スピッツ『ナイフ』について、私なりの解釈をご紹介いたしました。

近視眼的な欲望にとらわれているだけなのかと思いきや、人類の歴史に思いを馳せるような壮大な歌詞とが相まって、聴けば聴くほど味わい深く感じられる曲だと思います。

 

 

この曲のライブ映像が、『Live Chronicle 1991-2000ジャンボリー・デラックス』に収録されていますので、そちらも是非ご覧ください!(足を組んでうつむきながら、うつろな目をして歌うマサムネさんが、超絶色っぽくて最高です!)

『わんわん電鉄』は、おかげさまで3周年を迎えることができました!

ご無沙汰しております。わんわん電鉄です。

 

本ブログ『わんわん電鉄』は、2022年7月5日をもちまして、3周年を迎えました!

ありがとうございます! 

 

年々、記事の更新数が減少気味で、3年目は、4本しか記事を更新することができませんでした。私生活がバタバタしていて、そのうえ、精神的に参ってしまうことが多かったために、記事執筆に手を付けることが難しかったからです。

 

 

もっとも、私は本ブログの運営を終了するつもりはございません。細々とでも、続けていきたいと思います。なぜなら、まだまだ私なりの解釈を書きたいな〜と思うような曲がたくさんあるし、私の大好きなスピッツの新曲も次々に発表されてきているからです。

 

これから、面白いな、なるほどな、聴いてみたいなと思っていただけるような解釈・まとめ記事を書いていけるよう努めてまいります。

4年目の『わんわん電鉄』も何卒よろしくお願い申し上げます!

 

【考察・解釈】スピッツ『白い炎』

 『白い炎』は、アルバム『惑星のかけら』に収録されています。

白い炎

白い炎

 

 

以下、長い前置きです。


ご存じの方も多いと思いますが、『白い炎』の歌詞カードにおいて 、「GAS」の部分が、ガスタンク車で表現されています。 初めてそれを見たときには、よっぽど「GAS」 を強調したいんだな・・・と、苦笑いでした。しかし、 今となっては、この曲は「GAS」の曲、といいたくなるくらい、 その「GAS」のイラストと「GAS」の字が強烈な印象を与えて いるように思うようになりました。この曲のポイントなのかもしれません。

 

 

・・・・・・

 


私事ですが、今年の冬はとにかく寒いので(数年に一度の大寒波! )、イワタニさんのカセットガスストーブを愛用しております。

(どんなものであるかを分かりやすくするため、Amazonのリンクを貼り付けています。)

 

はっきりと申し上げて、普通の電気ストーブよりも温かく(さすが「 火」!)、「電気代」もわかりやすい(1本○○円で△時間・・・ と、換算がしやすい!)、そして、ボンベの取り替えも簡単で( 手が汚れない!)、これぞまさに「文明の利器」 だと思っています(イワタニさん、ありがとうございます!)。


毎回、ガスボンベを手にするたびに-ボンベには、ゴシック体で「GAS」と書いてあるわけですが-、この『白い炎』という曲を思い出すのです。歌詞カードのフォントと、いつも使っているイワタ ニさんのガスボンベのそれとが、似ているからです。そのため、 この冬は、いつも「言葉をGASにして~」 と歌いながらボンベを取り換えています。

 


・・・・・・

 

 

前置きが長くなってしまい、申し訳ございません。


早速、『白い炎』について考えてみたいと思います。

 

イントロは、軽い歯切れの良い感じのギターと、リズミカルなクラ ップ音で構成されています。なんだかラフな感じとともに、「 これから始まるぞ!」というワクワク感がかき立てられますね。少し長めのイントロになっているのも、なんだか焦らされている感じ がしますね笑。

 

 

悲しみあふれても
怒りがはじけても
この日を待つことに心傾けてた

通説では、この曲はエッチな曲だと言われています。そして、私もそうとしか解釈できません・・・ということで、私もソッチの観点 から解釈したいと思います。

 


このAメロの歌詞は、すごいですよね・・・ハッキリ言って、男女交際の精神的なつながり・交流そっちのけで、交際を始めた時点か ら、ただただそれをする「この日」のことばかり考えていたという ことですよね。


しかも、ただ直接的に「待っていた」と言うのではなく、「待つことに心傾けてた」と言うあたりも、変態的ですよね。

もはや本人は 、そういうことをする日を待つこと自体を愉しんでしまっているの でしょう。そこに至るまで待つ、ということを目的とする・・・観点が凄いなと思います。

 

 

 

燃えろ!燃えろ!白い炎よ
まわせ!まわせ!地軸をもっと
言葉をGASにして

マサムネさんの歌声は、割とさらっと平淡に歌われているのに対し 、歌詞を見ると「!」が付いているんですね。


なぜ「白い炎」なのか、ということは、私も解りません。白というと、無垢なイメージがありますが、この曲の主人公が無垢な感じは しませんしね。ちなみに、炎色反応かな?とも考えてみましたが、 この曲にはあまりふさわしくなさそうです。

 

 

個人的に変態的ですごいなと思った点が、2つあります。
第一に、「地軸」という言葉です。ソッチ方面の曲だ!と思いだすと、この「地軸」は、そういう体勢なんだと容易に想像がつくから です。絶妙に傾いている「地軸」と、それは、絶妙にマッチする気 がするのです。


第二に、「言葉をGASにして」という表現です。お互いに、「言葉」であれやこれやと盛り上がっているのでしょう。その「言葉」 によって、さらに加勢する様子が、もちろん一般的に想像されうる 範囲でも思いうかばれます。

 

他方で、 歌詞カードのガスタンク車のイラストのおかげで、「言葉」 というひとつのまとまりを、ガスタンク(ボンベも含む)というひ とつのまとまりと同じようなものとして捉えて、「白い炎」 の源に充填しているんだなという(それこそ、カセットガスストー ブにガスボンベをはめ込むような)、ある種「機械的」 なイメージも思いうかびます。

すなわち、前者のイメージは、 人間的な営みであるのに対して、後者のイメージは機械的な営みであります。後者のイメージで考えてみると、もしかしたら、 主人公は「この日」を「待つこと」“だけ”に注力する人間で、「 この日」(以降)にスることには、 あまり興味がないのかもしれません。さらに推測すれば、「機械的に」言葉をGASにすることで、心伴わずとも頑張れている 、というようなタチの人間なのかもしれません。

いずれにせよ、くだらない考察ではありますが、個人的には面白いなと思ったポイン トの1つです。

 

 

ちなみに、仮にソッチの観点ではなく、より一般的な観点から捉えて、「この日」を自分の思いをぶちまける日! といったように解釈したとしても、このサビと2番のAメロでどん 詰まりですね・・・やはりソッチ方面の解釈のほうがしっくりするような気がする、そんな風に確信させるサビです。

 

 

なお、Aメロはさらさらと流れていくような感じだったのに対して 、サビは、リズミカルに、手拍子でリズムを刻んでいるようです。 ここは、“がんばれ!”と、手拍子で応援するような(誰が?)イメージが湧きました。

一応、「燃えろ!」「まわせ!」といった言 葉は、応援フレーズにもなりそうです。そして、「GASにして」 で、じわ~っと、だら~んと弛緩するようなイメージがあります。 この緩急のバランスが好きです。


個人的には、主人公は、同じリズムで、少し緊張しつつ、自分で自分を鼓舞しながら燃えて、まわして、そして、言葉をGASにして 頑張って・・・そのうち力が抜けてリラックス(「悟り」?) して・・・という感じなのかなと想像します。

 

 

宝貝ひとつで 覚醒できるのさ
悟りのエリアから
君に呼びかけてた

主人公の「覚醒」ポイントは、「言葉」と「宝貝」なんですね。
宝貝」とはなんぞや?と思い、画像を見てみたのですが・・・すごく美しいのですが、どうも卑猥なイメージですね、おそらくそういったものを隠喩しているのだと思います。そういったものを見ると、たとえ「悟りのエリア」にいようとも、元気になって、 もっともっと!となるのでしょうね。

 

 

ひからびかけた
メビウスの惑星(ほし)で
行き場のないエナジー
笑いの渦 正義の歳月が
焼け落ちればすぐに・・・

2番目のサビを挟んで、Cメロです。
メビウスの惑星」が「ひからびかけ」るとは、どんな状況なのでしょう。ちなみに、そのような惑星は存在していないようです。 しかし、「メビウス」(の輪)を、

細長い帯を1回ねじって両端 をはり合わせたときに、表裏の区別ができない連続面となる図形

とすると(∞のような感じでしょうか)、 永久に続く終わりなき場所、といったイメージが湧きます。

少し飛躍しますが、相手が「メビウスの惑星」で、(疲労などで) 「ひからびかけ」たなぁと主人公は感じているのかもしれません。 それでも、主人公は「エナジー」を持て余してしまっている、そんな状態を表しているような気がします。


もしそうだとすると、やはり人間の肉体は、無限の、終わりなき可能性を秘めたものであるような気がしてきます。もちろん、 やがて死を迎えるので、絶対的に「無限」だとか「終わりがない」 とは言えません。しかし、主人公が今いるその瞬間からすれば、 主人公の「エナジー」次第かもしれませんが、「GAS」 を供給し続ければ、いつまでも続けられるような無限性を感じられるような気がします。

 

先程の「機械的だ」という見方も、 無限性へと繋げて考えれば、心伴わず行為しているという、ある種マイナス方面とは反対のものとして考えられそうです。

 

 

「笑いの渦~」以下は、何が何だか全く解釈できません笑。何が「 正義」なのでしょう?みんなが思うところの正しさ・明るさを否定 して、自分達は独自の楽しさを追求していきますよ!という宣言的なものなのでしょうか。

 

すぐに・・・の直後、軽やかでシンプルなバッキングが続いていくところが好きです。また曲が仕切り直されたような感じと、 言葉の余韻が相まって、なんともいえない心地よさを感じます。

 

 

・・・・・・

 

 

以上が、『白い炎』の解釈と感想になります。

 

この曲の主人公は、「待つこと」だけに注力している人なのかと思いきや、それとともに、いくらでも、「言葉」やら「宝貝」 やらで無限に「エナジー」が湧き出てくるような超人だったということがわかり、驚いています。全くいやらしくないのが、 さすがマサムネさん!という感じです。