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【考察・解釈】スピッツ『フェイクファー』

『フェイクファー』は、アルバム『フェイクファー』に収録されています。

フェイクファー

フェイクファー

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イントロのアルペジオから、「ファー」のような柔らかさやふわふわ感が感じられるのに対して、途中から歪んだギターや主張の強いドラム・ベースなどが入ってきて、重厚感やかたさ、現実感が感じられるようになるといった、音的に非常にメリハリのある楽曲となっています。

 

 

そして、このメリハリ感が、儚い歌詞と相まって、聴く者を曲に感情移入させているような気がしています。というのも、私がこの曲を初めてしっかりと聴いたとき、本当に涙が出てしまったからです。『なんて切ないんだろう』、『主人公の気持ちがよくわかる・・・』と、胸が締め付けられるような気持ちになりました。感動する(せざるをえない)一曲だと思います。

 

 

・・・・・・

 

 

あたたかみのあるアルペジオとともに、次のように言葉がはじまります。

柔らかな心を持った はじめて君と出会った

少しだけで変わると思っていた 夢のような唇を

すり抜けるくすぐったい言葉のたとえ全てがウソであっても

それでいいと

一行目の歌詞は、普通に、「君」と出会ったことが書かれていて、そうなんだーという感じなのですが、二行目からは、「少しだけで変わると思っていた」と、少し不穏な雰囲気が出てきます。

そして、そんな「君」から貰えた「夢のような唇をすり抜けるくすぐったい言葉」も、それが全てウソであっても構わないなどと言い出していて、ますます不穏な雰囲気が出てきます。

 

「たとえ~」のあたりから、ドラムやベースが追いうちをかけるように(!?)ドンドンドンドンと迫ってきます。ここで突如現れる「力強い音」が、曲の冒頭で歌われていた"虚構の幸せ"の内側に隠されている(意図的に隠している)「ウソ」を暴いて、表面的な幸せを剥ぎ取っていくような感じがします。

 

 

 

それにしても、「唇をすり抜けるくすぐったい言葉」という表現がまた素晴らしくて好きです。おそらく「君」は、主人公のことを心から愛しているというわけではないからこそ、そういった言葉がすらすらと出てくるということなのかなと思います。一般に、相手を本当に想っているならば、なかなか愛の言葉のような「くすぐったい言葉」というのは、口にしにくいものだと思います。

大して好きでもない相手にはいくらでも好きと言えるのに・・・みたいな経験、ありませんか?(苦笑)

 

 

 

 

憧れだけ引きずって でたらめに道歩いた

君の名前探し求めていた たどり着いて

この部分を聴いて私が考えたのは、主人公は「柔らかな心を持った」「君」とはじめて出会ったときから、ずっとその人への想いを断ち切れずにいるのではないか、ということです。さらにいえば、出会ったときからなのか、出会ってからなのかは分かりませんが、既に「君」は誰かの相手なのではないかということです。すなわち、主人公と「君」との関係は、この曲のなかにははっきりと出てきませんが、不倫とか浮気といったものであり、背徳的な恋愛によるものなのだろうなと思っています。

 

 

ずっと「君」のことが忘れられなくて、「君」に決まった相手がいるとしても、ずっとその人に対する憧れを断ち切れずにいた・・・そんなエピソードが思いつきます。

 

 

 

分かち合う物は

何も無いけど恋のよろこびにあふれてる

ここがこの曲の実質的なサビに当たる部分だと考えています。

 

この部分から、感覚的には、地に着いていた足がふわふわと浮き始めたような感じがします。これは、先ほどまでは現実に目が向いていた(「君」のくれる言葉がウソだと分かっているということ)のに対して、ここからは、そういった都合の悪い現実からは目を背けて、ただただ「君」との虚構の関係の喜びで胸がいっぱいになっているという主人公の感情を表現していると思います。

 

 

また、リズムよくギターのジャーンという音が入ってきますが、これが、主人公の心の中で感じられているであろう「恋のよろこび」を表現していると思います。これは個人的な感覚の話なのですが、恋しているときの喜びの感情は、心にじんわりとしたあたたかさをもたらしてくれるような感じがします。この「じんわりとあたたかくなるような感覚」を、そのギターが表現しているような気がします。

 

 

 

「君」は、主人公のことを心から愛しているというわけではないからこそ、主人公と気持ちを共有しているわけではないということなのでしょう。

主人公は、「君」と気持ちを同じくしているわけではないということを知りつつも、自分が独りでただ「恋のよろこび」を感じられているようです(ちょっと、独りよがりすぎる・・・!?)。ここから、個人的に、それはそれでいいやという主人公の少し諦めに近い気持ちを感じてしまいます。

 

 

 

この後、この曲の冒頭と同じ「やわらかな~夢のような」というフレーズが繰り返されます。

なぜここでは「夢のような」で切れているのか、よくわかりません・・・すみません。一つ私が考えうるのは、曲の冒頭の「夢のような」は「言葉」に係る修飾語として用いられているのに対して、ここでは、「夢のような」が主人公の感情を直接的に表す語として用いられているのではないか(あるいは、「少しだけで変わると思っていた夢のような」でひとまとまりになっている?)ということです。つまり、「夢のような」は、二重の役割を有しているのではないかということです。

 

 

 

偽りの海に体委ねて恋のよろこびにあふれてる

キンキンと甲高いギター音が響く切ない間奏を経ての、この言葉です!!!

「偽りの海」と、はっきりと「偽り」と言ってしまっているのです。主人公は、すでにそのように分かったうえで、それでも、「恋のよろこび」にあふれているというのです・・・どんどん心が痛くなってきます。

 

 

 

しかも、それに体を委ねるというのですから(受け身的)、ますますもの悲しさが増してくるように思います。自分主導でどうにか関係を変えられるような可能性はなく、「偽り」であることが不変のものとして確定しているということを、主人公は受け入れているわけです。ここでは、主人公が「君」との関係が虚構であるということだけでなく、主人公が「君」の本命になれない、本当の恋愛関係に変えられる力もないという無力さをも受け入れているのだと思います。普通に考えたら、つらさしかないであろう恋愛においてすら、「恋のよろこびにあふれてる」といえるのですから、主人公は「君」に対して、私たちが想像できるよりもずっと強い恋愛感情を抱いているのでしょう。

 

 

 

今から箱の外へ二人は箱の外へ未来と別の世界

見つけた そんな気がした

ここが私が一番好きな箇所です。

『THE GREAT JAMBOREE 2014“FESTIVARENA”日本武道館』に収録されている『フェイクファー』の、この箇所を聴いて、鳥肌がたつほど感動してしまいました。CD音源のほうだと、マサムネさんの声に少しエフェクトがかかっているようですが、ライブ音源のほうだと、マサムネさんの素の伸びやかな、やわらかな声が聞けます。どちらのバージョンも好きなのですが、後者は、この曲の切なさをより際立たせてくれると感じています。このときのこのマサムネさんの声は、どこか少年らしさが感じられて、だからこそ、ただただ無邪気に「君」に恋している主人公が表現されているように思えるのです。

 

 

バックで響いている甲高いギターが、こみ上げてくる、高ぶる気持ちを表現しているように聞こえます。主人公は泣きそうになりながら、「君」との未来を少し考えたのかなと思います。

 

 

「箱」というのは、今のままの関係でしかいられない世界ということなのでしょう。主人公にとっては、そんな世界は、狭っ苦しくて行き場のない「箱」も同然ということだと思います。

 

そして、「箱の外」という「未来と別の世界」を「見つけた/そんな気がした」と歌われますが、これがなんともむなしいといいますか・・・もの悲しいといいますか・・・胸がきゅうっと苦しくなります。言葉のチョイスが絶妙ですよね。もしこの部分が、"見つけたような気がした"という言葉と、「見つけた/そんな気がした」という言葉を比べてみると、やはり後者のほうが、重みがあって、さらに心を痛めつける(笑)ような感じがします。前者だと、さらっと受け止めているだけ(主人公が心を痛めている様子は見受けられない)に聞こえます。それに対して、後者だと、「見つけた」という言葉で一度「事実」を確定させて、次の「そんな気がした」という言葉で、見つけたという「事実」がただの本人の思い込みによるものであったとして、前の言葉を打ち消すことによって、ぬか喜び感が増幅していると思うのです。

 

 

このぬか喜び感は、言葉だけでなく、音によっても表現されていると思います。最後の、「そんな気がした」の「しーたー」の部分で、たーのところで音がはじけるように散って、急にふわっと浮くような感じがします。これこそ、最後に昂ぶっていた感情がぶわっと押し寄せてきて、でも結局これはどうにもならないんだと悟って、夢から醒めてしまった、という主人公の気持ちを表現しているのではないかと思います。聴いていると、それまで感情的に盛り上がるような音が響いていたからこそ、「たー」のところでは、無になる感じ、頭が真っ白になる感じ(さらにいえば、駆け抜けてきた道の先は行き止まりの崖になっていて、そこから飛び降りるような感じ)がします、私だけでしょうか笑。

 

 

 

主人公の気持ちについて、これまで私は、主人公は、自分が「君」の本命ではないということを知っていて、そのことを受け入れて、2人の関係の進展を諦めていると書いてきました。しかし、実は、主人公は「君」との未来を諦めてはいなかったようです。

確かに、冒頭でも、「少しだけで変わると思っていた」とあるので、完全に諦めたわけではないということが少し読み取れるでしょう。ただ、それからは、現実を受け入れて諦めた上での「恋のよろこび」があるとうたっているように思えます。となると、最後の最後にこのようなフレーズが出てくるということは、主人公の押し殺していた本当の気持ちが"最後に"爆発しているということなのではないかと思います。

 

 


ちなみに、ここでいう"最後に"というのは、例えば、「君」との別れのタイミングなのではないかと思うのです。この次に、「柔らかな~出会った」と冒頭の事実を述べるフレーズが再び登場しますが、これが物語の「起」であるとするならば、「今から~」の部分は、「結」なのではないでしょうか。曲調的にも、この部分が(感情の)ピークでしょうから、いったんここで物語が終わる、という感じがします。換言するならば、感情という星の爆発、後に再び新たな星が生まれるということです。

そして、また冒頭のフレーズに戻ることが、もう一度主人公と「君」との物語が始まることを予感させてくれます。

 

 

 

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以上が、私なりの『フェイクファー』の解釈になります。少し変に熱く語りすぎました・・・すみません。

私は音楽家ではないものの、音に関しても言葉に関しても、『フェイクファー』は、スピッツの曲のなかでも特にその絶妙さがピカイチだと確信しています。だからこそ、素人ながら、色々と語りたくなってしまいました。

 

 

個人的には、この曲には相当強い思い入れがあります。

私が大学2年生のときに、この曲に出会ったのですが、その頃は、ちょうど失恋したというか、仲良くしていた(と思っていた)人と突然疎遠になった時期でした。初めてウォークマンでしっかりとこの曲を聴いたのが、授業前の大教室の一番前の席でのことだったのですが、意味を考えてみたら、『未来があるような気がしていたけど・・・勝手に独りでドキドキしてただけなんだなぁ』とか思えて、休み時間、大人数のなかでこっそりと泣いてしまいました(イタイヤツ)。だから、ちょっぴり泣いた後の顔で授業に出たということをよく覚えています笑。そして、なぜか、その授業の担当教員も、突然、自身の過去の恋愛話をしだして、私はますます切なくなってしまった・・・ということがありました。

 

 

話を元に戻して。本当にマサムネさんが天才だな~と思うのは、『フェイクファー』という言葉から、"偽りのぬくもり"という意味を取り出せるところです。普通、フェイクファーなんて言葉を聞いても、偽物のファーだとか、エコなファー、形が整っているファーくらいの意味合いしか思いつかないと思います・・・本当にすごいなぁ・・・。